2010年08月30日

キャラメル

 引越しがあったとは聞いていたけど、そこはもう部屋のようでもなかった。通路の途中にベッドが並んであって、その合間合間をカーテンで区切ってあるような場所だった。落ち着かない場所に、小さくなった父は追いやられていた。サイドベッドもなく収納箱を兼ねた粗末な椅子だけがあった。随分離れた場所にテレビがあった。
 鞄の中からキャラメルを取り出して母に預けた。母は、小豆味を取り出して、包装を解いた。

「食べる? お父さん」
 一粒を父の口元に近づけるが、父は眠ったままだった。もうキャラメルなど食べるような父ではなくなっていたのだ。テレビなんかもう見ないのだ。そう思って急に気が抜けてしまった。ミルクキャラメルと抹茶キャラメルの箱をテーブルの上に置いた。
 イビキばかりが聞こえてきた。

「私昨日誕生日だったよ。お父さん。 誕生日だったよ。 ひとりだったよ」
 母が父の横で小さくなって語りかけた。

「帰るよお父さん。ねえ、お父さん、帰るよ」
 母が今日のさよならを告げている。

イビキ----、イビキ----


posted by 望光憂輔 at 00:03| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月29日

はなし

 母よりメールがくる。先日、父はうれしかったとのこと。最近は訊かれることもまともでないこともあるが、自分でもわかっているようだとのこと。
 そう、僕もうれしかった。たくさん話せてうれしかったのだ。北国の話はできなかったけれど、今日と明日の話、院内放送の話、桃の缶詰の話、キャラメルの裏の話、謎の飲み物の話……。「 」がつけば何だって話なのだ。

「ラーメンが食べたい」 父は、そう言っているらしい。

 父は、あのラーメンの味を覚えているだろうか。そう、思い出というのはいいことばっかりじゃない。歩けなかったこと、泣いたこと、父を見舞ったこと、みんなみんな大切な思い出だ。あの、ラーメンがまずかったことも。

 お父さん、僕は今日も元気に生きていますよ。


posted by 望光憂輔 at 21:23| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

異性園

 同性のものが近くに居ると気持ちがわかるようで苦しい。わかるようでわかられるようで苦しいから、まるでわからない異性のものがいる方がむしろ心地良いのだと思った。どうせわからないのだからと思えば、気楽でいい。共通点は少なくていい。互いに生き物同士であるというくらいでいい。あとはわけがわからないくらいがちょうどいい。
 ココアがやってくる。けれども、僕はしばらく何もしないのだ。知らん顔をして、日記をつけているのだ。関係ないですよ、キミが来ようとどうしようと。誰のココアですか、あなたのですか、あなたのですか。誰のものでもないのなら、最後は僕が接触を試みるのだろうけれど、それは今ではない。今でも良いし、今でなくても良い。だから、もう少し日記を書いておこう。一段落したら、その時に初めてそこに触れてもいい。どうせキミは逃げないのでしょう。僕が装い続ける無関心について、異性のものたちは当然のように無関心なのだった。
 みんなの知らないことを、こっそりと僕は知っている。ココアがやってきた時を、僕は知っている。みんなはきっと知らないでしょう。今、僕の右腕がほんのここまでしか上がらないということを。僕は待合室のたくさん並んだパイプ椅子の上で、たくさんの老いた両親たちに囲まれて、カーテンの向こう側でライオンのショーが始まるのを心待ちしながら、パンフレットを丸めていた。やがて、順位が上がって僕は招かれ、秘密の小部屋の内側で優しい人が、僕の肩に新しい暗号を送ると、彼女の鉛筆は僕の肉体のあらゆる文脈に触れもしなかったのに、僕は自分が良くなることを強く信じた。未だ僕の右腕は左腕の力なしに上がることはないけれど、大切なことは左腕の助けを借りれば上がるという事実だった。左腕は父の手だ。大きくて、力強くて、優しい手。そこにあると信じた。けれども、随分前から父はもう放していたのだ。幻の手。そこにあるという信頼が感触として残っているだけだった。遥か彼方で父の声がした。僕は、その時、もうひとりで自転車に乗っていたのだ。
 異性のものたちは、僕のことをまるでわかっていないし、僕もまた異性のものたちのことがわからない。
 知り得ないことがたくさんある。想像しても想像し切れないことがたくさんある。さあ、ココアを飲もう。

posted by 望光憂輔 at 17:50| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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