2010年08月12日

ドアが閉まります

「間もなくドアが閉まります」
 そう言ってから随分と経った。一向にドアが閉まらない。風が入ってくる。子供たちがランドセルを抱えて入ってくる。旅人が入ってくる。遠い国から、本当らしいニュースが入ってくる。早く閉まってしまえばいいのに。どんどん外から入ってくる。その内、僕は出て行かないといけなくなる。新しい者が入ってきたら、古い者は出て行かないといけない。もしかしたら、そういう仕組みになっている。「間もなくドアが閉まります」けれども、ドアは閉まらない。風が入ってくる。花束を抱えて新郎新婦が入ってくる。芸人が入ってくる。遥か彼方から、謎の円盤が入ってくる。間もなく閉まります。間もなく閉まります。間もなくドアが閉まります。そうして閉まらない間に、次々と新しいものが入ってくる。動物たちが大挙して押し寄せてくる。みんなが、自分の居場所に不安を覚え始めている。
 遠くからユニコーンがゆっくりと近づいてくる。違う。あれは赤い服着た痩せっぽちのギタリスト。彼女の背中のギターが空へと伸びて、ユニコーンの角に見えただけ。さよなら、彼女は通り過ぎる。ドアが閉まります。
「間もなくドアが閉まります」
 けれども、ドアは閉まらない。
 風が入ってくる。かなしみが、入ってきて、間もなくあふれてしまう。

posted by 望光憂輔 at 15:36| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドリブル

 広大な父の背中を駆け回っていた。コーナーまで行って、戻ってくる。更に下りて軟らかく丸まった場所で足を取られて転げそうになるが、なんとか踏み止まって、両手を広げてバランスを取る。狭い通路を慎重なステップで下りてくる。しばしペンギンのように留まる。数を数えながら足踏みをする。ついに、一度落ちる。けれども、すぐに復帰する。また、上がり始める。広い背中に帰ってくる。ゆったりと安心して駆け回る。何も心配は要らない。「ちょうどいい」おまえの重さが「ちょうどいい」と父は言った。兄でも姉でも母でもなく、僕はちょうどいいので、調子に乗って駆け回っていると、親指の先に何か硬い物が激突して悲鳴を上げた。青いビニールに包まれたその正体は、古びたガスコンロなのだった。誰が、こんなところにこんなものを置いたのだ。鈍痛が流れる親指を押さえながら、怒りと共に考えを巡らせていたが、それと同時に浮んだのは、「誰がこんなところでドリブルの練習をするんだ」という真っ当な考えで、僕は急激に萎縮し醒めてしまった。ここはロッカールームで、公園でも父の背中でもなかった。僕はボールを鞄にしまい、階段を上った。

posted by 望光憂輔 at 12:40| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハンカチ落とし

 助けを呼んでも誰も来なかった。ベッドの上で僕はひとり体を揺すりながら我慢していた。そのことを考えないようにして、何か関係ないこと、遠い星のことを考えた。一瞬それは消えて、自分も消えて、何もなくなったような気がする。けれども、空想は肉体によって打ち消される。ごまかしの余地がないほど、もうあふれていたのだ。体をいっぱいに伸ばして耐えてみても、足先は腹部を助けることはできないのだ。僕はハンカチを当てて尿を出した。おかげでシーツは少ししか濡れずに済んだ。濡れ切ったハンカチを摘み、僕は精一杯の力を込めて外へ放り投げた。
「誰のハンカチ?」
 いつか見回りの人が、見つけて問いかけた。
 僕はまるで知らない顔をしていたのだった。
posted by 望光憂輔 at 10:04| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

泣かない誓い

 命なんて一瞬で吹き飛んでしまうこともある。それを思えば、たくさんの救いがある。考え方次第で絶望は変えられる。死が決まっていても、しあわせであることはできるのだ。病としては最悪の状態であっても、人生としてはそうではないと僕は自分に言い聞かせた。生が当然のものとしてあった時からすれば、あまりにも絶望的であったが、死と向き合う状況になったのだから、残された生の中から希望を見出していくしかないのだ、と僕は自分に言い聞かせた。
 ハンカチは持っていかないと決めた。父の前で泣くまいと決めた。
 子供の頃、お見舞いに来た人に悲しい顔をされるのは嫌だった。それは悲劇の駄目押しだ。悲しみの上塗りだ。楽しい顔をしていてほしかった。だから、僕もそうしなければならないのだ。泣くために行くのではなく、元気づけるために行くのだ。
 そうだ。話をしよう。昔の話をたくさんしよう。北国へ旅をしたことを。寝台車が上野駅に着いた朝のこと。客のいないラーメン屋のこと。音で動く円盤のこと。覚えているかな。父は覚えているかな。

posted by 望光憂輔 at 01:25| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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