2010年09月18日

握手

 「ナンプレガーデン」は持っていかないのかと母が訊いた。いらないと僕は言った。最初から僕はいらなかったのだ。

「これは誰?」
 僕を指しながら母が尋ねると、父の唇が動きそうになる。けれども、動かない。

「帰るよ」

「また来るよ」

 ベッドに置いた僕の手が沈み、父は頷いたように見えた。
 手を握ると父も握り返した。力があった。父の手は、なかなか離れなかった。うれしかった。
 今日はとても調子のいい日だった。
 もしかしたらと僕は父に手を振ってみたが、期待しすぎだった。握手だけで、僕には充分すぎたのだから。
 僕は最後に、父とちゃんと別れの握手をすることができた。ずっと忘れないのだ。


ラベル:小説
posted by 望光憂輔 at 19:58| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思い出の道

 一人の客がテレビの前のテーブルに座っていた。
「はい!」
 店主だった。
 緑色のテーブルクロス、やはり駐車場へつながる扉は開け放たれている。夏でも同じなのだろう。中村玉緒が映る。サスペンスドラマのようだ。アイスコーヒーを飲みながら、持ってきた本を開いた。本って何だというようなことが延々と語られるという本だった。こういう場所では、小説よりも直接的に頭に入ってくる方がいいのだ。
 客らしき者が入り漫画を読む。店主はどこかに行ってしまった。
 時を隔てて同じ場所に行くと過去の風景を重ね見てしまう。あの時は、誰がいたとか、何色のシャツを着ていたとか、何を頼んだとか、もっと強い風が吹いていたとか、どこで缶ジュースを買ったとか、一瞬何かを躊躇ったようだとか、誰かが声をかけてきたとか、時には後から作り出したような風景もそれに加わったりするのだ。正確に振り返るためには、それらをみな記録しておかなければならないが、そんなことはできもしないし、意味もないことだ。書き留めておいたことさえ、記憶は容易にすり替わったりする。同じ場所を避け続けることなどできるのだろうか。新しい場所だけを選んで歩いたとしても、僕はそこで古い記憶を拾ってしまうような気がする。
 ハナミズキの歌詞が、本の中から立ち上がって僕の体の中を通り過ぎていく。
「ひどい話も何もあったもんじゃねえよ」
 テレビの村人が言った。

「一緒に歩けたら……」
 昨日の母の言葉が、ずっと引っかかったままだった。僕は本を閉じた。


置いていったり置いていかれたり
さよならでいっぱいの道は
細くなったり太くなったりするけれど
ずっと歩いて行かなければなりません
ひとりでも歩いて行かなければなりません

みんな一緒に消えてはなりません
いつかひとりでやってきたように
いつかふたりで歩いた道も
いつかはひとりで歩かなければなりません
ずっと並んで歩ける道なんてないのだから

キミと歩けたら
けれど何度も願うでしょう
キミと歩いた思い出と一緒に
ひとりで歩く道の上で限りなく


 客らしき者は漫画だけを読み、「よし!」と言って帰った。
 さよならの言い方にも、色々とあるのだ。

posted by 望光憂輔 at 19:26| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

休館日

 図書館は火曜日は休館日だった。その隣の喫茶店も一緒になって休んでいる。きっとよい友達なのだ。仕方なく、僕は風のレストランへ向かうことにした。コーヒーくらいはあったはずだ。
 芝を横切り歩いていると三羽烏に遭遇した。

「おまえは向こうから捜せ!」

「俺はこっちから捜すぞ!」
 それぞれ三手に分かれて、ダイア入りピアスを捜すのだと言う。
 三角形内に立ち入らないように少し遠回りして、僕は目的地を目指した。

「あったか?」

「それはチーズ入りオムレツだぞ!」

posted by 望光憂輔 at 19:06| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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