2010年09月08日

帰るよ

「どこに行くの?」
「事務所」
「事務所はない! ここは病院!」
 お婆さんは、どこかに行こうとして、何度も連れ戻されている。

 父の今のしあわせは、イビキをかくことだ。
 なぜなら、僕がそれを聴いているからだ。
 お父さん、僕はたくさんたくさん聴いていたからね。

ひっひーー
やっほーれー
いっそーれー
イチローー
 カーテンの向こうから、奇妙な声が漏れてくる。

「帰るよ」
 父に言った。手を握ってみた。けれども、冷たく力なかった。
「帰るよ」
 父の唇は、動かなかった。目も開かなかった。

 病院の外は、一ヶ月前と違って明るかったし、僕は泣かなかった。駅まで30分の道程を急いで歩いた。


posted by 望光憂輔 at 23:12| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

グレープゼリー

「ご飯食べれそう?」
 父は、目を開けない。けれども、ベッドの角度を変え口の中にゼリーが入れられる。何度が口が動くけれど、すぐに動きを止めてしまう。一瞬しか目が開かないような状態だから、無理もないのだ。

「飲み込んでないですよ」
 看護師さんが、大きな声で父に呼びかけた。それでも、父は動かないままだ。

「危険と思います」そう言って口の中に管を入れて吸い出した。
 ゼリーがまだ残っている可能性があるため、角度はしばらくこのままにしておくと言う。枕を高く保ったまま父は眠っていた。上を向き口を大きく開けイビキをかいている。

今日の夕ご飯
ゼリーひとくち

posted by 望光憂輔 at 22:22| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音々

今日の夕ご飯
全粥 豆腐 団子みたいなもの
グレープゼリー テルミールミニ

 テーブルの上に置かれたまま、介助の人はやってこない。食器が鳴る音がする。勢いよくかき込んでいる、完食するような気配がする。どこからか、呻き声がする。父は、上を向き口を開けイビキをかいている。
 呻き声が泣き言のように変わった。看護師さんがやってくる。
 隣の部屋から、「ちょっとー!」と声がする。大惨事なのだ。
「どうして5分の間にこうなるのよ」とんでもないことになっているのだ。
「そんだけ無理しなくていいじゃない」
 父がご飯を食べる番はなかなかやってこない。テルミールはずっと横になっていた。
 僕は粗末な椅子の上に横たわり、病院の様々な音に耳を澄ませていた。

posted by 望光憂輔 at 12:15| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イビキ時々唸り声

 眠ったままの父を見ていた。僕は、いつまでも泣いているわけではないぞ。あなたは、いつまでもイビキをかいているけれど。
 武田の叔父ちゃんたち、あれから来ないねえ、この前来た時、大丈夫だったから、大丈夫、大丈夫と言っていたから、あれから来ないねえ、と母が言った。粗末な椅子に、一人で座っていた。千秋さんたちも、来ないねえ。

「今日は、晴れたねー」
 母が、言った。

「晴れた、晴れた」

 もう、あなたのイビキは聴くに堪えません。同じ繰り返しばかりです。そうですか。人生とは、耐えることなのですか。耐えるという繰り返しなのですか。お父さん。イビキは、激しくなったり、穏やかになったりした。

 晴れたと言ってから、母は黙り込んでしまった。
 急に、部屋の中が暗くなったような気がした。外が晴れれば晴れるほど、ここは暗くなる。ここにも空があったり、風が吹いたりすればよかったのに……。静寂があったり、光が射し込んだりすればよかったのに……。父を見つめている内に、僕は折れそうになった。
 看護師さんが、検温のためにやってきた。振り返った僕の目が濡れているのに、母は気づいてしまったろうか。僕が、出て行くと泣きに行ったのだと思われるので、僕は意地でも出て行かない。僕は、ずっとここにいるのだ。
 母が、出て行った。

 父だけになったので、僕は気が抜けて、号泣した。かなしくさせるのは、対比だ。外と内、今と過去、キミと僕、何もかも対比がかなしくさせる。
 母が家から持ってきたホタル祭りのチラシが、テーブルの上に置きっぱなしになっていた。誰が飲むわけでもない、お茶と一緒に置かれていた。カーテンの向こうから、すすり泣くような声がした。ここはそういう場所だった。みんな一緒なのだな。静かに静かに、泣く声がする。
 イビキを聴きながら、粗末な椅子の上に無理に横になって、僕も眠った。
 眠ることは、生きていることだ。

「今日は何日だ?」父が突然現れて、訊いた。

posted by 望光憂輔 at 00:16| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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