2010年09月10日

新しい部屋

 父の体重は53キロ。僕と一緒だ。
 よかった。ここは窓がある。初めて来た時、「きたか」と父が声を絞り出した時の隣の部屋だ。窓があり母用のサイドベッドがあり、壁があるので寄りかかることもできる。奇妙な歌や婆さんの騒ぐ声も聞こえてこない。落ち着く。
 父は、寝てばかりいる。今日は目を開けない日。僕が来たからといって目を開けるということにはならない。
 右に傾いて寝ている。左目だけを開けている。イビキが聞える。

「イビキではない。そういう呼吸」
 母が言った。

 もう食事の度に起きることはない。ずっと寝ていて大丈夫。目を閉じたまま無理して食べなくていいのだ。もぐもぐしたりごっくんしたりしなくていいのだ。食べている途中で眠ってしまい、口の中に食べ物が残り危険な状態になったり、飲み込む時に喉が苦しくて声を上げたりしなくてもいいのだ。食べる苦痛から解放されて、父は今、前よりは楽な顔をして眠っている。
 兄がやって来た。今日は日曜日だった。
 緩和病棟のパンフレットを、母が見せた。

「あんたもそれでいいね……」
 兄は、それでいいと言った。

posted by 望光憂輔 at 22:51| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日曜日

公園では

子供がボールを蹴っています

ヘルメットを被った女の子が

一輪車に乗って通り過ぎます

ほんの少し遊びに来ただけだから

みんなすぐに帰っていきます

僕も直に帰ります

posted by 望光憂輔 at 22:27| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すれ違い

 病院と反対方向に歩いて、僕は遠回りして行くのだ。少し歩いたら、見慣れた風景や思い出の場所が現れるだろうかと、歩いていくがすべては見知らぬ街の風景ばかりだし、しばらくすると全国展開するチェーン店があり、また、しばらくすると道がだんだん荒くなり、工事の大きな音が耳に入ってきた。次の大通りに出るまで道は細く険しかった。
 これは人の歩ける道だろうか……。
 不安を増しながら、歩いていくと前から傘を杖のように使いながら歩いてくるお婆さんの姿が目に入り、僕は落ち着きを取り戻した。自動車ばかりが行き過ぎる騒々しい道の隅で、歩く者は僕とあのお婆さんだけだ。順調に行けばこの先のどこかで僕は体を半身にしてお婆さんとすれ違うことだろう。今日は雨は降らないだろうけれど、梅雨だからお婆さんは傘を持っているのだ。梅雨の間、いつも傘を杖代わりにして持ち歩いているのかもしれない。
 薄利多売。真新しい白い壁に大きく書かれてある文字を見つけた。焼き鳥だった。今はどこでも何でも安くしなければ売れないのだろうか。この辺りに人はたくさん訪れるのだろうか。余所見をしながら歩く内に、いつの間にかお婆さんは消えてしまった。

posted by 望光憂輔 at 20:01| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

旅まち

 ただいま停車中の列車は、すべての準備を整え終えて出発の時刻を待っているという列車です。行き先は、どこまでも続く旅です。降車駅は、それぞれの決心に委ねられています。降りられるのは、いつでも自由です。乗り続けることも自由です。もしも、お降りになるとしたら、その後の乗り継ぎ、または交通手段はお客様ご自身でお探しください。こちらからのご案内はありません。歩いて行かれる方は、どうぞ歩いて旅を続けてくださいませ。ただいま停車中の列車は、すべての準備を整え終えて、すべての乗客が旅の準備を整え終えるところを待っているという列車です。ご乗車の方は、特にお急ぎになることなくゆっくりとご乗車くださいませ。発車まで間が空いております。既にご乗車の方は、発車の時間まで、これから始まる旅立ちの予感と大きな期待を胸に抱きながら、ゆっくりとお寛ぎくださいませ。引き続き、車内販売のお知らせを致します。ただいま停車中の列車は、一切の車内販売を致しません。誠に申し訳ありません。繰り返し、車内販売のお知らせを致します。ただいま停車中の列車は、一切の車内販売を自粛しております。誠に申し訳ありません。ご空腹をお持て余しのお客様は、プラットホーム上にありますお弁当販売コーナーをご利用の上、お好みに応じたお弁当をご選択の上、必ず現金でのお支払いをご選択くださいませ。ご一緒にお茶などもいかがでしょうか。なお、お弁当をご購入の方は、どうぞゆっくりとご購入くださいませ。発車まで間が空いております。ご案内申し上げます。ただいま停車中の列車は、すべての準備を整え終えて、小刻みな振動を帯びながら、近い将来に訪れる出発の時刻を待ちわびているという列車です。行き先は、どこまでも続く旅です。目的地は、それぞれ心の風景とご相談の上、お決めくださいませ。大変長らくお待たせしております。今しばらくの間お待ちくださいませ。お見送りのお客様にご案内申し上げます。お見送りのお客様は、必ず列車の外でお見送りお願い致します。お見送りされるお客様は、必ず列車が発車する時間までにご乗車を終え、お乗り遅れなさいませぬようご注意くださいませ。なお、万一お乗り遅れになりましたお客様は、次の列車をご利用になるか、他のプランにご変更される等して、次の旅のご計画をお練り直しくださいますよう申し上げます。ただいま停車中の列車は、すべての準備を整え終えてゆっくりと呼吸をしながら、やがて訪れるであろう様々な風景とのすれ違いに思いを馳せつつ、ついに発車のベルが鳴らされる時を待ちわびているという列車です。引き続きお見送りの方にご案内申し上げます。小さなお子様を撮影されるお客様。お急ぎくださいませ。小さなお子様は、長い長い旅の間にほんの一瞬だけ現れる幻でございます。澄み切った瞳も、無邪気な笑顔も、ほんの僅かな間浮ぶ幻でございます。カメラを構えてお待ちのお客様。お急ぎくださいませ。目の前にある小さな宝物は幻でございます。思い出はお忘れにならないよう大切にお持ちくださいませ。ご案内申し上げます。ただいま停車中の列車は、どこまでも続く旅ゆき列車です。大変長らくお待たせ致しました。間もなく3番ホームに車掌が到着します。引き続きお待ちくださいませ。


posted by 望光憂輔 at 00:06| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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