2010年09月18日

ホーム

 鳥の囀り、虫の鳴き声、猫の独り言、時々人の声もする。一日雨は降らなかった。
 もしかしたら全部わかっているのかもしれない。人間的な表現レベルでそれを表せないというだけで、こちらが受け取り切れないというだけで、全部わかっているのかもしれないと思った。お父さん。どこまで行っても、あなたは父です。

列車はこのホームに入ります
 
 と、書いてあったが、ホームは一つだけだ。向こう側にもありそうなホームは、縮まり歪み雑草ばかり生い茂っている。金網の向こう側、駅のすぐ外にはタクシー乗り場があった。

「おめー違う。それじゃ駄目だ。
こうしてバーッとやらないと」
 車を降りて、熱心に何やらを指導しているようだ。野球なのかゴルフなのか。

「違うなあ。こうしてバーッと」
 ついにどこからかクラブを出してきて、本気で振り始めた。乗客が来るまで彼らは延々とゴルフのスイングを練習しているのだ。きっと、仕事よりもゴルフが好きなのだ。

「芋掘りだったらそれでいいがな。こうしてバーッとしないと」
 総理大臣がプレスリーの真似をする時の手振りと重なって見えた。
 僕は失笑を噛み殺しながら、列車の到着を待った。まだ外は明るかった。



                  終



posted by 望光憂輔 at 20:25| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

握手

 「ナンプレガーデン」は持っていかないのかと母が訊いた。いらないと僕は言った。最初から僕はいらなかったのだ。

「これは誰?」
 僕を指しながら母が尋ねると、父の唇が動きそうになる。けれども、動かない。

「帰るよ」

「また来るよ」

 ベッドに置いた僕の手が沈み、父は頷いたように見えた。
 手を握ると父も握り返した。力があった。父の手は、なかなか離れなかった。うれしかった。
 今日はとても調子のいい日だった。
 もしかしたらと僕は父に手を振ってみたが、期待しすぎだった。握手だけで、僕には充分すぎたのだから。
 僕は最後に、父とちゃんと別れの握手をすることができた。ずっと忘れないのだ。


ラベル:小説
posted by 望光憂輔 at 19:58| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

思い出の道

 一人の客がテレビの前のテーブルに座っていた。
「はい!」
 店主だった。
 緑色のテーブルクロス、やはり駐車場へつながる扉は開け放たれている。夏でも同じなのだろう。中村玉緒が映る。サスペンスドラマのようだ。アイスコーヒーを飲みながら、持ってきた本を開いた。本って何だというようなことが延々と語られるという本だった。こういう場所では、小説よりも直接的に頭に入ってくる方がいいのだ。
 客らしき者が入り漫画を読む。店主はどこかに行ってしまった。
 時を隔てて同じ場所に行くと過去の風景を重ね見てしまう。あの時は、誰がいたとか、何色のシャツを着ていたとか、何を頼んだとか、もっと強い風が吹いていたとか、どこで缶ジュースを買ったとか、一瞬何かを躊躇ったようだとか、誰かが声をかけてきたとか、時には後から作り出したような風景もそれに加わったりするのだ。正確に振り返るためには、それらをみな記録しておかなければならないが、そんなことはできもしないし、意味もないことだ。書き留めておいたことさえ、記憶は容易にすり替わったりする。同じ場所を避け続けることなどできるのだろうか。新しい場所だけを選んで歩いたとしても、僕はそこで古い記憶を拾ってしまうような気がする。
 ハナミズキの歌詞が、本の中から立ち上がって僕の体の中を通り過ぎていく。
「ひどい話も何もあったもんじゃねえよ」
 テレビの村人が言った。

「一緒に歩けたら……」
 昨日の母の言葉が、ずっと引っかかったままだった。僕は本を閉じた。


置いていったり置いていかれたり
さよならでいっぱいの道は
細くなったり太くなったりするけれど
ずっと歩いて行かなければなりません
ひとりでも歩いて行かなければなりません

みんな一緒に消えてはなりません
いつかひとりでやってきたように
いつかふたりで歩いた道も
いつかはひとりで歩かなければなりません
ずっと並んで歩ける道なんてないのだから

キミと歩けたら
けれど何度も願うでしょう
キミと歩いた思い出と一緒に
ひとりで歩く道の上で限りなく


 客らしき者は漫画だけを読み、「よし!」と言って帰った。
 さよならの言い方にも、色々とあるのだ。

posted by 望光憂輔 at 19:26| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

休館日

 図書館は火曜日は休館日だった。その隣の喫茶店も一緒になって休んでいる。きっとよい友達なのだ。仕方なく、僕は風のレストランへ向かうことにした。コーヒーくらいはあったはずだ。
 芝を横切り歩いていると三羽烏に遭遇した。

「おまえは向こうから捜せ!」

「俺はこっちから捜すぞ!」
 それぞれ三手に分かれて、ダイア入りピアスを捜すのだと言う。
 三角形内に立ち入らないように少し遠回りして、僕は目的地を目指した。

「あったか?」

「それはチーズ入りオムレツだぞ!」

posted by 望光憂輔 at 19:06| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10人のお婆さん

 母が戻ってきた。
 たくさん人が入っていたと言う。
「みんなお婆さん」
 母が言った。

「寝てればいい」
 母は言うが、昼寝の時間は終わりだった。
 小さな頃は、母のポケットの中で生きていることができたし、世界で最も落ち着く場所だったけれど、大きくなった今ではずっと隣に座っていることさえできなくなっているのだった。自分の大きさと母の小ささに戸惑いすぐに耐えられなくなるからだった。
 僕は図書館へ出かけることにした。

posted by 望光憂輔 at 18:12| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宇宙人間

 父は、薄目を開けてじっと見つめている。何か言いたいのだろうか。伝えたいのに伝えられないとしたら寂しい。聴けないことも寂しいが
伝えられないのも寂しいだろうな。宇宙人だったら目と目で会話ができるかもしれないのに、人間は無力だ。
 母は銭湯に出かけて行った。

「向きを変えます」
 看護師さんが、向きを変えてくれる。
 それ以来、父はあっちを向いてしまった。
 日本人らしく靴を脱ごう。隣のベッドで昼寝をしよう。ベッドはいいものだ。脚を伸ばして眠ることができる。
 父の言葉を期待しないようになってから、拠り所は目の方へ移っていった。目を開く瞬間のことを、大きく受け止めるようになっていた。


posted by 望光憂輔 at 17:14| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

みんなのさんま

 扉を開けると、人々が一斉に振り向いた。 L字型のカウンターは人でいっぱいだった。
「いっぱいかー」
 誰一人として何かを食べている者はいなかった。みんな料理が来るのを待っているのだ。僕は扉を閉めた。
 店の外では、腰を屈めマスクをした老婆が道草を食っていた。
「空いてるやろ。入ればいいだろう」
 老婆は言った。
「他にありますか? この辺りに」
 母が尋ねた。
「他はない」
 老婆は言った。
 僕たちは、夏至の夜に行ったもう一方の定食屋に行って、さんま定食を食べた。店では、ほとんどの者がさんまを食べるのだ。けれども、時々はチキンカツを食べたり、餃子を食べたりする者もあった。

posted by 望光憂輔 at 16:01| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サプライズゲスト

 隣の水元さんがやって来た。
「お父さん、水元さんが来たよ」
 父はまだ眠っている。
「先生! 水元さんが来たよ」
 父は大きく目を開いた。唇が唇の深いところで動く。何かを言おうとしたのだ。
「こんなに目が開いたのは、今日初めてですよ」
 僕は水元さんに報告した。報告しながら、うれしくて涙があふれてきた。僕が帰っても、父は平然としているが、誰か知らない人やお客さんがやって来ると父は、必死に覚醒しようとするのだ。なんて礼儀正しい人なのだろうか。

「よくなって帰ってくださいね」
 父はうーうーと唸った。
「そうですか。そうですか」
 手が冷たいですねと水元の奥さんは言った。
「先生の声が聞こえないと寂しいです」

 銭湯に行った母が帰ってきた。
「ありがとうございました」
 無理をしないようにと言って、水元さんは帰って行った。
 銭湯にはまだお湯が溜まってなかったと言う。
 今日の天気は晴れだった。

「ゲゲゲの女房よ」

 父は両目を開けてゲゲゲの方を見ていた。今日の父は調子がよかった。

 世の中のだいたいのことはタイミングで決まるのだ。
 病の発見も、新しい医療の発見も、出会うことも、出会わないことも……。
 もう少しの違いで、いつもうまくいったり、おかしくなったりするのだ。
 父の好きな花の写真をたくさん見たり、ピアノの音を聴いたら、刺激を受けて意欲が湧いて、声が出るかもしれない。デモタールが駄目でも、自然や音楽はもっとうまくやるかもしれない。わかりっこないのだ。どっちがいいとかよくないとかは。

 いいことばっかりはないんだから。

posted by 望光憂輔 at 00:10| ソロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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