2011年05月27日

こいのぼり

 トイレに行ってくると言ってスギは行ってしまい戻ってこない。来ないんじゃないかな。兄ちゃんは、早起きして待っていた。朝の6時からビールなんかを飲み始めて。僕にも少し、ちょうだい。何だか変な味だけど、こんな早起きも少しは悪くないか。スイッチの切れたコタツに潜り込んでテレビを見る。こんな時間から映画をやっている。それはフランス映画。女が手を振っている。
 独自のやり方で解くことが好きだった。公式なんかには当てはめずに、他人とは違う角度から解決に当たる。「私が最初に解いてみせるから!」と言って自信ありそうにいつも笑っていた母の手紙が置いてあった。一枚目は遊びについて、二枚目は勉強について、三枚目は体のこと、四枚目は家族について、五枚目にはさよならと書いてあった。さよならなんだ……。それがわかってもう一度一枚目から読み直す。一枚目は遊びについて、さよなら、二枚目は勉強について、さよなら、三枚目は体のこと、さよなら、四枚目は家族について、さよなら、そして、さよなら。
 マンションの五階から階段を使って下りる。四階の部屋の一つからはずっと Someday が流れている。一階にたどり着いても、Someday は流れている。謎の女が突然くしゃくしゃの紙を僕に手渡し、何も言わずに去っていく。「だめだ。これだけじゃあ、何もわからない」女は信号の色に紛れて逃げてしまう。僕は夜の向こうに流れてくる Someday のメロディーを手掛かりにして女を追いかける。ブティックの窓に映る僕の横顔は、いつの間にか昔のような子供ではなかった。ここは、僕の知らない街だ。女を、母を追う内に僕は冒険者になった。坂道を上る自転車に手を伸ばした瞬間、僕の足は浮いていた。「待て! 母はどこだ?」その時、僕はこいのぼりになった。いつまでも自転車の後ろにくっついて、鱗に冷たい風を受けながら、ひらひらと決して離れることなく泳いでいったのだ。女は振り返らなかったけれど、その背中は確かに追いすがる者を認めて、振り落とそうとしているのがわかった。坂道を終え、加速が増した。繰り返される蛇行に惑わされないように、僕は目を閉じる。不安定になっているのは彼女自身だし、僕はただ食いついて離れないのだ。諦めて口を開くのは、彼女の方なのだから。僕はもう寒さも、怖さも、痛さも感じない。千切られても引き裂かれても、執念の風を受けながら、永遠に泳ぎ続けるのだから。いつまでも、いつまでも、増殖を続けるさよならの泡を追って、いつの日か、いつの日か……。黄色い信号を越えて、彼女は突然振り返った。僕は驚いて人間に返ってしまった。みるみる彼女は離れていった。何かが彼女と接触して、彼女の悲鳴が、随分遠くで聞こえたのだった。

ラベル:someday
posted by 望光憂輔 at 02:43| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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