2011年08月30日

黒服

「そんなかっこいいスーツを着てるのにもったいないよ」とその子は言ったけどスーツなどではなかった。海のすぐ近くに家があるので少し抜け出て家に帰り、もう少し薄手の上着に着替えてくることもできたのだ。「ジャケットを取ってきてよ」誰かの言う声がした。何もしていないと寒くなるし、どうかすればすぐに暑くなってしまうような難しい海辺だった。
 留守番の家にはおじいさんが寝込んでいた。ずっと寝たままなので僕は遊んでもらうこともできず、何かをしてあげることもなかった。隣の家の壁に落書きが見つかったと言っておじさんが騒ぐので僕はその騒ぎの中に参加するために表に出た。ローマ字だろうかカタカナだろうか誰の仕業だろうかとおじさんは頭を抱えていたので、僕も一緒になって頭をひねって考えた。文字の上をなぞってみる壁は冷たく、その向こうには閉め切った窓とカーテンの隙間からじっと様子を窺っている子供の姿があった。車が止まる音がして姉が見舞いの人を大勢つれて帰ってきた。「あんた何をしているの?」そんなところで遊んで、おじいさんはどうなったのと姉は言った。知らない人が家の中に上がり込んできて、無言でおじいさんに手を合わせた。
 北海道で撮った写真の中には知らない子供が2人笑っていた。幼い頃に一泊して一緒に遊んだのだが、それ以外のことはわからなかった。古びたアルバムの中から写真やお気に入りの新聞記事を切り取って、スーツに勲章のように貼り付けた。隣の家にみんなで挨拶に行かなければならなかった。突然のことで、みんな疲れているだろうから何か疲れのとれる食べ物をもって行かなければならない。どういう言葉をかければいいのか、僕は適当な言葉を知らなかった。「おばちゃん、何か甘い物もらってもいい?」隣の家のしほちゃんがやってきた。しほちゃんも疲れているようだった。しほちゃんは甘い物を少しだけ食べて帰って行った。「ほら、早く行ってあげないと」と姉が急かすように言った。「みんなちゃんとした黒い服を着てよね」僕は、これでどうかと問うように勲章で輝いたスーツを持ち上げてみせた。「なんか古い感じになっちゃうのよね」姉がもごもごと言った。

posted by 望光憂輔 at 03:11| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

自由研究

 因数分解された部品をかき集めて博士はロケットを作った。補助輪をまずは後ろ側につけたのは、2番目に飛ぶつもりだったからだが(みんなは勿論最初に飛んでほしかったが博士はシャイだった)、大国の博士も先に飛ぶつもりはなく、「お先にどうぞ」と言うのだった。補助輪が中央と後部、つまり後半に偏っておりそれで無事飛ぶことができるかどうか怪しかったが、「大丈夫、大丈夫」大国の博士に促されて博士はスタートを切った。それっ! 助走をつけて博士のロケットは飛び立ったが、発射台を出た瞬間、機体は既に勢いを失っており不出来な紙飛行機のようにほとんど前には進まず、そこら辺を少し浮き上がって彷徨っているだけなのだった。「捕まえろ!」もう一度やり直すために、捕まえろと指示が飛んだ。けれども、そこは紙飛行機と違って金属の塊であり、そう容易く捕まえることなどできないので、仕方なくコーヒーブレイクとなった。
 少し前には無数の蟻たちが蠢いていた、非日常のテーブルの上で、女は平気な顔をして朝食を食べている。人の気配を感じて彼らは去っていった。のんびりと活動しているように見えたものの、その逃げ足は水のように速かった。破裂した水風船から飛び散ってゆく水のように……。そして、女はそんなことは何も知らずに(勿論、博士のロケットが大変なことも)朝食を食べているのだった。僕は紅茶の方が好きだった。あちらこちらにコーヒーがおいしいこと、コーヒーに対してただならぬこだわりを持っていることが書かれてあったが、僕は紅茶を頼んだ。ゆっくりとコーヒーを味わっている場合ではないことが、誰よりもわかっているつもりだったからだ。

「危ない! 接触するぞ!」
 ロケットを素手で捕まえようとするが、コントロールを失ってビルと接触すると火花が上がった。緊急ボタンがついていないことがわかり、それを停止させる手段がないことが確認された。
「このままでは町が危険だ!」
 直ちに各主要駅に緊急で回覧板が回されるように手配がなされた。そうしている間にも、ロケットはあらゆるビル、あらゆる壁、あらゆる厳つい男の肩に当たって狂ったような破壊と逃走を続けていたのだった。
「虫取り網を持って来い!」
 各ホームセンターから虫取り網が集められ、我こそはという虫取り名人が全国から直ちに招集された。優勝したのは小学2年生のヒロアキくん。網の中に捕らえた博士と並んで誇らしげに笑っている。将来の夢は宇宙飛行士だ。
「ありがとう!」
 網の中から博士の白い歯が零れた。



posted by 望光憂輔 at 15:38| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月26日

つわり

「僕たち兄弟みたいだね」いつの間にか、彼は僕の部屋に住み着いていて馴れ馴れしくくっついてきた。「同じ名前だから、僕のこと嫌いだったでしょ」と言うと彼はただにやり微笑むだけだった。気が変になりそうで、僕は急いで家を出ることに決めた。車を走らせると横には知らない犬が乗っていたし、後ろには巨大なサンドイッチがいて、運転はどうだと訊いた。「車庫から出る時が手間取って」僕は家を出る時の話をした。「後退してようやく出た時に、後ろには車が3台も並んでた」僕の出るのを待ってくれていたのだった。「3台。ふふふ」とサンドイッチが笑った。車はスーパーの中を通り、壮大な野菜売り場を抜けると薄暗い森の中を走っていた。幾つも木が垂れ下がってきて、フロント硝子を撫で付けた。小道に出て、緩やかな上り坂を越えるとまた大通りに戻った。右折して、アクセルを踏んだ。足の下には橋があった。橋の上を走る僕の手はしっかりとハンドルを握って……。けれども、その時僕は突然、自分が握っているのが空っぽの植木鉢だということに気がついた。瞬間、僕の身体は浮き上がり、加速から自由になった。激しく傷み、剥げ落ち、錆びついた車が川底深くに沈んでいるのが見えた。車は、ずっと昔からそこにあり、一度も僕を乗せたことはない。けれども、確かに感触が生々しく残っているのだった。「つわりというのを知っていますか?」先生は言った。「言葉は聞いたことがあります」つわりという現象が元となり感覚の入れ替えが行われている、と先生は言った。「ポジションがないですよ」と父が階段を下りてきた時、母があなたのすぐ横に、同時に2階にも存在している時、父の行き場がもうトイレしかないという状況。そして、言葉は戦争反対、エンジン全開、因数分解……。そのようにすり替えられていく。気をつけなさい。

posted by 望光憂輔 at 15:59| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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