2011年12月12日

チキン

 いつから開いているのだろうか、薄緑のカーテンが小刻みに揺れている。夕暮れの歩道を陽気に行進するちんどんやの鳴り物の音がいつものように聞こえる。姉がいなくなってから、一人にしては随分と広い間取りになってしまったけれど、実際に使っているのは一部屋にすぎなかった。そろそろ本格的に整理をして、不要なものを処分したりして一部屋を空っぽにしたり、新しい部屋の使い方を考えようと思っていたのだけれど。突然、見知らぬおばあさんが僕の二階の部屋に上がり込んできたのだった。姉がいなくなったとは言え、僕がまだ残っているというのに、管理人さんはどうかしている。続いて、おばあさんをばあちゃんと呼ぶ女とその子供らしき女の子も上がってきて、みんなして食事の支度に取り掛かった。大皿に盛られたミニトマト、キャベツ、キュウリがテーブルに並べられる。中心になって働いているのは、おばあさんだった。「さあさあ、そっちへ」いつの間にか、僕もおばあさんに使われている。読みかけだった本を閉じなければならなくなり、栞を挟む。共同生活を送るということは、そういうことなのだ。自分のやりたいこと、やるべきことを常に途中でやめなければならない。閉じた本を持って子供の手の届かないところへ片付けに行った。部屋の片隅には、まだ越してきたばかりの旅の鱗をまとった荷物がまとめて置いてあり、それを一瞬でも眺めていることが、なぜか他人の生活を覗き見ているように思えてしまい、この上ない罪悪感を覚えた僕は、一刻も早くこの場を捨ててどこかへ逃げ出してしまいたかった。どうしてだろう、ここは僕の部屋ではなかっただろうか、ついさっきまでは、確かに……。食べかけのチキンを冷蔵庫から取り出して、テーブルまで持ってくると野菜の盛られた皿の上にぶちまけたのは、ささやかな(精一杯の)自己主張だった。「どこで採れたの?」「実家の方で採れたのよ」「どうして行ったの?」チキンには、関係なく野菜中心の会話が交わされていく。「お父さんの運転で行ったのよ」「運転してもう大丈夫なの?」「まだ本当はよくないのだけれど、駄目だと言うとお父さん、泣くのよ」「ははは」

「こちらで召し上がりですか?」そうだ。僕はもう、どこにも帰りたくなかった。「ゼロコーラはありますか?」「では普通のコーラで」するとおばあさんは厨房の方を振り返り「ある?」と言うのだった。「ゼロある? ある?」そうしておばあさんは、厨房の奥へと消えていった。無人になったカウンターの前でメニューの光沢を見つめる僕の後ろに、徐々に行列はできていった。しばらくして、厨房の奥から別の若い男が現れると、「注文をどうぞ」と言った。「ゼロコーラと……」
「12番の旗が出たらお越しください」と男は案内した。できあがりを待つ間、店の隅々を散策してまわった。広い店内は未使用のスペースも多くて、奥のカウンターなどは照明が消され、椅子がひっくり返った様は、岸辺に打ち上げられ絶命した魚のようだった。ボーリングのレーンの近くにまで多くの席が設けられている。空いているところが多いだけに、どこでも食べられるだけに、どこにしようか決めかねるような夜だった。そろそろと歩いて戻りカウンターから突き出ている旗に近づいていく。旗は、まだ10番だった。

posted by 望光憂輔 at 01:39| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月08日

浮遊街道

 日々歌い続けることで、彼の記憶を呼び戻そうとした。リズムを変えて新しいものも取り入れて、今までにあったものからどこにもなかったものを作り出そうとする中で、毎日が積み重なって、とめどない歳月が川となって流れていった。歌の一つ一つはただ流木となって、誰の心にも留まることなく消えてゆくのだった。ある朝、「ただいま」と彼が口にした。当たり前のように朝がきた、といった調子で言った。その瞬間、彼は僕にとって見知らぬ他人となってしまった。どこから帰ってきたのか、どこへ帰ってきたのか、それさえわからなくなってしまったのだ。

 儀式の一環として金を撒いた。白いビルを男がよじ登って行く。泥棒? その周辺に次々と男たちが加わった。訓練だ。アクロバティックな形を取りながら、互いに絡みつき縺れ合って、進んでいく。危ない! 一瞬、手と手が離れて、落下する、と思った瞬間別の隊員が足を伸ばし、その手に捕まる。一瞬、危険と思わせるところまでもすべては計算し尽くされた訓練の一部なのだった。お金のことはもうあきらめていたのに、「あなたのお金も今は私のもの」と隊員が認めるので、僕はならば返せと迫った。突然、隊員はわからない言葉をしゃべりだした。取り巻きの者たちはボイスパーカッションを始め奇妙な歌が始まると、僕はついに理解し合うことをあきらめた。
 緩やかなスロープを通って自転車のライトが流れてくる。川に反射して輝くタイヤフィッシュを眺めながら、昔だったらこの川くらい自転車で飛び越えることもできただろうと考えた。今では、目の前にあるささやかな手すりさえも、危険な障壁のように見えてしまうのだ。
 適当なライブを見つけられないまま3時も過ぎて、外国人のカップルと乗り合わせたエレベーターを降りてホテルを出た。どこか遠くでサイレンの音が聞こえる道、まだたくさんの人が歩いている道。杖を振り回しながらお婆さんが、奇声を上げながら歩いてくる。決して関わらないように、あるいは余計な接触を避けるように道行く人が用心深くコースを変更する。僕は歩道を越えて、浮遊する。

 今年も残るところあと僅かなので、みんな髪を整えておくようにと先生が言った。残り少ない道の上から野菜たちが転げてくるのを、やり過ごしながらゆっくりと進む。店の前には車が止まっているけれど、それが順番を待っているのか、ただ止まっているだけなのかはわからない。八百屋の中では猫たちがいたずらをして困ると言って主人が愚痴を零していた。「この忙しい最中にまったく!」そこで主人は猫たちに遊び道具を与えることにしたのだった。「さあ、これを持って出て行け!」2匹の猫は、駐車場の片隅で胡坐をかきながら雲に向かって水鉄砲を打ち上げていた。それよりも相手に向けて撃った方が何倍か面白いよと言って教えてあげたけれど、猫たちはそのやり方がとても気に入った様子で、道筋を曲げることはとうとうなかったのだ。
 川の上に浮遊して、余裕を感じたのも束の間、おばあさんもまた杖を振り回しながら浮遊して追ってきたので、僕は更に浮遊して歩道橋を越えた。逃げすぎたのが明確に目標を示すことになったのか、おばあさんは宙に浮いたまま猛然とこちらに迫ってくる。一振りで歩道橋をなぎ倒して、向かってくるのだった。最初に見た時よりも、巨大化しているように見えたのは錯覚だったろうか……。「あれは本当に怖いな」と誰かが、下の方で言うのが聞こえる。

 僕が音楽家を助ける方を選んだため、置いてきた漫画家は少し寂しげでした。それで、痩せた、骸骨の絵ばかりを描いていたのです。

posted by 望光憂輔 at 22:41| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タクシードライバー

「どうして東京へ?」とタクシードライバーが尋ね、「テレビが壊れたから」と僕は答えた。そんなところから拾う人は、東京にはいないからねと言う。メーターが上がってしまうからねと言う。「東京駅へ向かう人はみんな迷子です」タクシードライバーは700円と書かれた帽子を頭に乗せていた。僕は東京の空について尋ね、彼は幻想の東京と現実の東京について答える内に、時間の話になり映画の話になった。「2時間というのが迷惑をかけない時間なんだ」迷惑という言葉が妙だった。「姿勢が続かないということ?」タクシードライバーはウインカーを鳴らし、右折レーンに入った。交差点の標識には知らない土地の名前が書かれている。「陶酔の限界なんですよ」限界とは、どういう意味だろう? 「時間を忘れてしまう。そういうのが好きだな」そう言うと彼は日常と陶酔について語り始めた。東京駅へ向かう途中、延々と映画の話が続き、徐々に非日常世界へと入っていくように交通量が減っていった。車線も信号の数も減っていき、人の姿も見かけなくなった。「登場人物が生きているような映画だよ」どんな映画がいいかについての彼の答だった。東京に来た時、彼は俳優を目指していたのだと言う。日が徐々に落ちてきた。
「どうしてやめたの?」余計なこととは思ったけれど、言葉は止められなかった。そして、タクシードライバーは黙り込み、車は細い急斜面を上った。誰もいない道だった。僕はどこへ向かうのだろう。行き先を伝える言葉を誤ったのだろうか。あるいは、出発の理由が既に愚かにすぎたのだろうか。

「どこだ?」落葉の敷き詰められた赤い道の上を車は滑っていた。タクシードライバーの肩を掴んで、僕は叫んでいた。「どこだ?」タクシードライバーはブレーキを踏んで車を止めた。不意に、自分が誘導して車を辺境の地に運んできたような気になると、恐怖がエンドロールのように押し寄せてきた。ドアが開き、落葉の上に僕の足があった。トンネルの奥から、老夫婦が助けを求めるようにして逃げてきた。おじいさんは足を引きずって、おばあさんの肩を借りている。車に戻ろうとした時、運転席にタクシードライバーの姿はなかった。車の後ろに隠れ込むようにして、老夫婦は小さくなった。人間か獣かわからないような影が、トンネルの奥から血の匂いを追って駆けて来る。闇の中から最初に現れた鎌のような金属が、落ちかけた日を受けて輝くと、それは着実に悪意を持った使い手と一体となりこちらに近づいてくる。何かを探し、地面に手を伸ばしたけれど、その手に握られていたのは落葉ばかりだった。凶器を振りかざし、泥だらけの男は、車のすぐ傍にいた。
 その時、何かが車を突き抜けて、僕と殺人鬼の間に立った。人間離れした何かが殺人鬼に体当たりした。「俺の原案のおかげでこの映画は成り立つんだろうが」そう言いながらモンスターが、その大木のように太い尾で殺人鬼の体を容赦なく締め付けると、落葉が風に舞い上がって殺人鬼の顔中に貼り付いた。やがて、赤い土に呑まれるようにして、殺人鬼の身体は沈んでいった。「もう大丈夫ですよ」

posted by 望光憂輔 at 01:40| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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