2010年10月22日

葬儀

 直前になってやはり上着を着ることにした。僕が着ていないことによって着なくても大丈夫という空気を世界に向けて発したいという特別な思いもなかったし、上着をただ置いているというのがいかにも置いているみたいで嫌だったし、何かと通行の妨げになることも避けたかった。いくら暑くても、これは最後の本当に最後の大切な時間かもしれないのだから、そういうことで上着を着ることに決めたのだった。
 代わる代わる神主さんが父の前に座って、父の生まれたこと職業のこと出世のこと町内会のこと、結婚のこと子供を儲けたこと兄のこと姉のこと僕のことについて、歌った。神主さんの服は、方々を回ってきたためか所々に汚れが目立った。縮まった蝋燭の炎が風で度々消えてしまうのを、別の神主さんがチャッカマンを使い再び点火した。一生分も歌にすると長いような短いような時間だった。
 喪主が呼ばれて、和服を着込んだ母がゆっくりゆっくりとミノムシのように進み出て、神主さんから玉串を受け取った。続いて兄が、続いて僕が呼ばれた。僕は昨日ほどには強く手を叩かないでおいた。どうせ誰も何が正解かなんて知らないどころか、気になんてかけてはいないのだから。二度礼をするところを、僕は簡略化して一回も礼をせずに、引き下がった。水元の奥さんのところで、泣いたから、もう僕はこんなところでは泣くことはないのだった。
 ポケットから紙切れを取り出して、昨日と同じように兄が挨拶文を読み上げた。昨日と違うのは、今日は大勢人があふれて会館の外まで人があふれているので、マイクを使って読み上げたということだった。ゆっくりと、兄は挨拶文を読み上げた。昨日とは違って、今日は母と僕も兄の隣に立って、人々の方を向いていたのだ。姉も後ろに立っていたかもしれないが、それはわからなかった。
 棺が中央に運ばれて、中に花々が入れられる。父は花が好きで、カメラを持って散歩に出かけては花の写真を撮ってそれをブログにも載せていた時期があり、一度二度僕がコメントしたこともあったけれど、父はそれが僕だとは知らなかっただろう。いつかそれは中断されて、暖かくなる頃にまた再開されるかもしれないと密かに期待しながら、何度かの春を回ったけれど、ついに実現することはなかった。
「浩二君も」
 茫然と立っているのは、兄と僕の二人だけだった。誰かが、僕に花の一切れを手渡して父の顔へと誘った。100年の春が押し寄せた畑のように花であふれると、今度は綿切れに酒を染み込ませて各々、父の唇に持ち運ぶようになった。飲めもしない酒を、大勢で飲ませにかかった。
「浩二君も」
 誰かが、綿の一切れを手渡して父の唇へと誘った。最後の酒を浴びた父の唇は、おかげで薄っすらと開きかけていたのだった。
 最後に玄関前で撮った家族写真を父の胸にあずけた。扉が閉じられる。
 棺の頭を抱えて車に運んだ。近くに兄が見えた。Fさんが、胴体を抱えてくれた。バスに乗り込んで、兄と並んで座った。会館の外には、大勢の黒い服を着た人がいて、様子を見届けていた。バスが通り過ぎる時、道に並び立つ人々はみな一様に深く頭を下げていた。
 車がデイホームの前を通りかかると(父が月に7日アコーディオンを持ち演奏に通った場所だった)、10人を超す人々が表まで出て頭を下げているのが見えた。
 自分などただの息子に過ぎない。僕は父の成してきたことに打ちのめされそうだった。

ラベル:小説
posted by 望光憂輔 at 18:08| はやかったね | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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