2011年06月27日

あぶく

 あそこの風呂屋に、ペプシはあるのかな……。男は泡のように道路から湧いて口から問いかけを零した。どうでしょうと僕は答えた。三本は飲みたいねえ、よう、三本は飲みたいねえ、と言っている間に坂の上に逃げた。男は、風呂屋の方には向かわず、こちらに向かっている。ペプシのことを訊かれるよ、とみんなに教えてあげると皆一様にそれは疎ましいなという顔になった。疎ましくても、僕たちは生きていて、生給八千円が支払われることになっていた。生きて、生きて、生きて、八千円。生きることはとても疲れる。
 大海に向けて船は速度を増していった。地から離れた足はずっと震えたまま、目印のない海から眼を放して、自分だけが魚の子孫ではないという不安を秘めたまま、作られては消えてゆく泡を見つめていた。飛行機雲だったらと考えながら、見つめている泡の中で何時間が過ぎたのか、次第に遠退いていくのは、故郷か僕自身の意識だった。タクシーのドアが開いて、父と離れてしまったのだと知った。もう、海はどこにもなかった。タクシーから降りると僕はミニカーに乗ったまま病院のドアを潜った。盆栽や、看板や、椅子や、部屋の仕切りや、院内にある様々なものと接触しながら、ミニカーは進んだ。構わなかった。僕は何に当たっても、構わずにミニカーを走らせた。BGMは、すべて僕が選曲したものだったから、自分の庭のように錯覚してしまったのかもしれない。生きて、生きて、生きて、八千円ほど生きたので、僕は特別に疲れていたし、格別な死に到達していたのだった。処置室に向かう。狭い通路で、ミニカーが渋滞に巻き込まれてしまった。僕は甦生カルテをフロント硝子に貼り付けて、なぜかまた海のことを思い出してしまう。もっと、遠くまで見渡しておいたらよかった。どうせ、生きていたので。羽のない天使が、僕の腕に手を当てる。間もなく心臓マッサージが始まろうとしている。

posted by 望光憂輔 at 18:21| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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