2011年07月29日

返却の旅

 売ってくれと言われて泡を食ってしまう。だってそれは伝説の建設剣なのだから。「1000円でしょう?」そんなはずはないのに堂々と主張されるとたじたじとなり、逃げ出すこともできないので鉛筆の先を口に含んだ。どうしたって言われてもそれはあんたがそうさせたのだから、あんたが悪いんだよ。あわあわあわ。芯が砕けて役立たずになり、輪郭が崩れて開けてゆくカツオ節の向こうから太鼓の音がする。「コーヒーを買ってきます」

 アウェーに乗り込むこととなった監督は、エースのしんじをキーパーの後ろに配置することに決めたのだった。敵のエースの攻撃にさらされた時も、最後は味方のエースがピンチをことごとく蹴散らしてくれるという狙いだったが、攻撃力の低下は免れなかった。いくらアウェーでもという声が、主力選手の中から多数上がった。しんじは監督の息子だったのである。僕は、缶コーヒーを間違えて買ってきた。建設剣はおじいさんに返しに行こうと思う。

 道の途中に坂があって、転がっているとデパートの渡り廊下につながっていた。ミス千里眼が、地下一階にいながら、7階の模様を探っている。「また新しいメニューが追加されました」。店の配置も、人の流れもすべてが見えているようだった。3人の人が、並んでいるのが見えると言った。その内の1人が僕なのだった。「そうです。白葱とんこつラーメン」千里眼が見通した。正午が近づいて、人々が集まってくる。千里眼の操作によって、配置はすべて決められていた。押しのけられて、突き飛ばされて、転げ落ちると、僕はハ行を見上げていた。それでいて、目的のアーティストを見失っているが、それはよくあることだった。ハ行ではなかったかもしれない。頭に「ザ」がついて、サ行になっているのかもしれない。けれども、サ行の前ではダンス大会が開かれていて、立ち入ることができない。気がつくと後ろに女の影があった。「私もまた、CDを売るからね」。女はそれだけ告げて去って行った。

 剣をひとふりすると、ワイシャツの襟が立ち上がったけれど、それは僕の首から大きく遠慮した距離を取り、中には冬の風が吹き込んでいた。「並んでいるのですか?」「いいえ。僕は、パンを選んでいるだけです。でも、これと決めた瞬間には、並んでいることになるでしょう。その時は、肩の向きを今より少し向こうにするつもりです」まくってもまくっても、袖が落ちてきて、パンさえ落ち着いて選ぶことが出来ないのだった。まだ、みんなは僕がコーヒーを間違えたことを責めているのかも知れなかった。女は、僕の首に手を回し、襟のサイズを見てくれた。ずっと見つめられているようで、恥ずかしくて、僕は女の顔でみんなから自分の顔を隠そうとした。何も悟られまいとして、一層女の顔に、明るさを失うほどに繊維が浮き上がるほどに、自分の顔を近づけた。消えてしまいたい。そう思うと、もう2人きりになって歩いていた。「おじいさんは、いるかな?」。煙草屋の前までやってきた。戸を開けると、ガラガラと鳴った。僕は、剣を掲げながら、「御免ください」と言った。

posted by 望光憂輔 at 03:40| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。