2011年10月26日

2人の声

 夜の中を走っていく2人に、触れなければ、話を聞くことはできない。何周も繰り返し2人は疲れも見せずに街を回り、その途中で僕の家にも立ち寄って好きなものを盗んでいくのだ。「待て! 待ちなさい!」2人の兄妹は、決して振り返らない。決して耳を貸さない。自分たちだけの遊びの世界に閉じこもっているからだ。彼らの世界に入り込むためには、触れなければならない。彼らはあらゆる鍵を持っていて、好きなところに、入りたい場所に、自由に入り込むことができる才能を持っていた。まだ、一度も触れられなかった。

 店の中は暖かくて、先生と2人並んでカウンターに腰掛けた。「もうすぐあの人も来ます」と女は、グラスを磨きながら微笑んだ。準備ができたので、奥へどうぞと言い、僕らは動き出す。2人にしては広すぎる部屋を用意してくれていたが、あまりに広すぎて落ち着かないため、襖を閉めて少し個人的なスペースにしようと思った。ゆったりしているのはいいけれど、これでは声が部屋の外にまで漏れてしまう。別に他人に何を聞かれようが構わないのだったが。「一番得意のを歌おう」と先生は言った。先生も同じようなことを気にしていたのだった。襖を閉めたせいで、今度は暑くなってきた。僕は電話を取った。「はい、母です」と女は言った。「少し暖房を下げてもらえますか?」せっかく朝から、暖めてくれていたのに申し訳ない気持ちだった。女は、感情を持たない声でわかりましたと言った。他に何も言わなかった。

 ようやく触れた、と思ったのは兄の吹いた口笛だった。メロディーの切れ端に少し触れたにすぎなかった。いつになっても鬼ごっこは上達しない。触れなかったので2人は、もう追いつけないところへ消えてしまった。先生の歌が思い出せないのだった。僕は何も歌わなかった。そこには誰もいないのだということがわかり、安心しきって何も歌えなくなったのだ。一人汗をかきながら、先生は歌った。階段の下で、じっと身を潜めて僕は2人を待っていた。どこからも影は見えなかったのに、突然、カラカラと階段が鳴り始めた。闇の中で音を追いかけ、階段を上がった。その時、ようやくのことに僕は触れたのだ。音は影となり、少しして肩に変わった。間もなく僕の家の中に2人は入り込もうとするところだった。「今日は何度入ったの?」兄は見つけられたことがうれしそうに、「何度も入った」と言った。妹は、犬を摩るように僕の肩に触れ、「最初だよ」と言った。

posted by 望光憂輔 at 02:25| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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