2011年10月26日

愛読

 教室の前では女子が着替えを始めようとするところだった。一人の女子と目が合ったような気がし、その子は少し笑ったような気がした。どういう意味の笑いなのだろうか。けれども、僕は目を伏せて、それ以上教室の中を見ることをやめた。積み上げられた本を運ばなければならない。それは全部が、自分の持ち込んだ本だった。持ち運べるだけの量を箱に詰め、あるいは、紐で縛り崩れないように表紙の中心で十字を作り、そこに指をかけて運べるようにした。一人で当たるのは大変だったが、本のことに集中している内に、だんだんと教室から零れる声は遠ざかり聞こえなくなっていった。自分は今、正しいことをしているのだ。そうした自覚が何よりも自分自身を勇気付けていた。「大変そうだね」どこから来たのかおばさんが、気がつくと僕の横にしゃがみ込んでいた。「助かります」運ぶのを手伝ってくれるという。最初は一人だったが、作業を重ねている内に、何事かと気づいたように、人が人を呼んで徐々に援助者は増えていった。たくさんの見知らぬおばさんたちが、運搬作業を手伝ってくれた。
「ありがとう」
 中継地点としていた踊り場の本の数に違和感を覚えた。何度も校内を行き来する内に、迷いが生じて誰かが場所を間違えているのかもしれなかった。踊り場を間違えて別の場所に運んでしまった可能性が考えられた。売店を挟んで右の踊り場が正しい中継地点だったが、誰かが間違えて別の踊り場へ回ってしまったのだろうか。人数が増えるにつれてルートが分散して、誰かが無理な近道を模索したり余計な回り道を考え始めた辺りから事はおかしくなり始めたのかもしれなかった。監督(最初のおばさん)に原因の究明と行方不明になった本の捜索の協力を依頼した。組織の心強さと力が分散することの不安を同時に覚えた。「大変そうね」今までになく若い人間の声に驚いた。どこかで見たような気がしたが、あの時教室にいた女子かどうかを訊くことはできなかった。「うん。でも、あと少し」手伝えることはないかと彼女は言った。少しだけ、好きな本の話をした。

 中継地点の踊り場を間違えていたのは、僕だった。僕以外の誰も間違えてはいなかった。みんなは常に正しかった。誤った踊り場から本を回収して正しい中継地点へと運び直した。
「これを2時間で読もうとしたんだよ」
 自省を込めて僕は言った。結局は1冊として読むことはできずに、ただそれを失わずに持ち帰るだけの作業に、大勢の人を巻き込みながら追われているだけだった。
「まあ、そういうこともあるよね。何でもできそうな気になる。後で考えたら自分でも馬鹿馬鹿しくなるようなことを考えたり、とても自分の手には負えないようなものを抱え込んでしまったり……」
 私にもある、と彼女は言ってこちらに駆けてくる男子の方を見た。
「これっ!」
 どこからか友達が本を見つけてきてくれた。金の紙紐できつく縛られた文庫本3巻セットだった。
「ありがとう!」
 どうしてこんなに、みんが自分のために動いてくれるのだろう。あの時、教室の前で一人本と向き合っていた時のことを思い出して、泣きそうになった。
 集合した本と、自分の記憶の中のリストと照らし合わせてみる。最も気になっていた2冊を、その中に見つけ、また少し安心する。

posted by 望光憂輔 at 23:21| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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