2011年11月08日

家出準備

 キックは空振りばかりだし、すぐに転ぶし、そんなチームから先制点を奪われたものだったが、僕はキックフェイントでキーパーまでかわしてゴールを決めた。祝福のハイタッチを交わしていると主審は、「3点取った方が勝ちにしよう」と言った。いいね、いいね、充分だとみんなが賛成してそういうことになり、その後も僕らが順調にゲームを支配していた。「あと10分で終わりにしよう」と主審が次の提案をするとみんなから不安の声が漏れ始めた。「なんだ、みんな。自信がないのか!」ベンチから監督の声が飛んだ。父は、ノートを広げて、キーパーの仕草をこまめにチェックしていた。父の仕事はいつも正確なのだ。

 次にやってきたシェフは、無言のままに厨房の奥に入るとフライパンを振った。強火に次ぐ強火で緑野菜を炒めると緑野菜は色づいて真っ赤に染まった。野菜に足を取られたようにシェフが落とした箸がテーブルの下に転がった。僕の方に転がってくれば拾おうと思ったけれど、すぐに転がりの勢いは衰えてシェフが手を伸ばした。当然洗うのかと思ったが、シェフはそうする代わりに構わずそれを再びフライパンの中に戻したのだった。その瞬間、父のペンが動き、何かをノートの中に書き込んだ。シェフは、出来上がった料理を皿に盛り付けると椅子に腰掛けて、無言で食べ始めた。その間、父のペンは動きを止めない。就業時間の終わりが来て、僕は何も食べられずに終わるのだとわかった。「包丁はどこ?」シェフの質問に答える義理など何もない。「知らない」こんなことならもう、ここを出て行こう。
 集めていた新聞記事を鞄に詰めようと持った時に、それが大変な重さであることを知った。それはすべて大事なものだったけれど、いよいよ本当に大事なものだけを選び抜かなければならない時が訪れたのだ。自分の部屋で1枚1枚読み返し、文章を胸の奥にしまった。最後に残った1枚どうしてもそれは、要約することも決別することもできないそれを持っていくことにした。1枚だけになるとあの重さはうそのように思えた。それは何かのショートショートのようだった。
 今出れば今日の内には着くだろうか。

「行くのなら今日はエレベーターはやめておきなさい」
 姉が言った。みんなみんな休んでいるんだからね。長い長い休みの最後の日だった。けれども、もっともっと休みは長く続くものとばかり思っていた。平日という言葉の手触りが何か懐かしく新しく恐ろしく感じられた。
「いってきます」

posted by 望光憂輔 at 02:47| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。