2010年08月05日

リフレイン

 お祖母さんの家を離れる少し前から、あんなにおしゃべりだったユウちゃんは無口になり、チャイルドシートの上で熊を抱いていた。投げ飛ばされ、腕が千切れるほど回されて散々な目に遭った熊も、すっかり疲れたのかユウちゃんの膝の上でおとなしく脚を伸ばして座っていた。
「ばいばい、またね」とお祖母さんが手を振り、ユウちゃんも小さく手を振った。
 道はくねくね道で、ほとんど誰ともすれ違わない。アンパンマンの歌が流れる。ユウちゃんは、あれから一言もしゃべらない。一つの別れを抱きとめるようにして、熊を抱いている。上ったり下ったり、細い山道を、タコお母さんの車だけが進んでいく。しあわせを定義づける歌が流れる。やがて、川が見えるとこへ出た。太陽が強く水面を照らしまぶしい。キャンプファイヤー。あの水で、ご飯を炊いても大丈夫だろうか。くねくね道が続いて、僕はすっかり酔いそうになっていた。細い道を抜けて、ようやく人の気配がする町に出た。それからもっと大きな道へと入っていったように思う。僕は目を閉じていた。赤いスイートピーが流れる。あなたが時計をちらっと見るところで、僕は泣きそうになる。「もうちょっと」。曲が終わるとユウちゃんが言った。「もう一回聴くの?」「うん」赤いスイートピーがもう一度流れる。窓に顔をくっつけて、僕は目を閉じている。あなたが時計をちらっと見るところで、僕は泣きそうになる。どうしても同じところで引っかかってしまうのだ。「お母さん」。「もう一回」。曲が終わるとユウちゃんが言った。「何、もう一回?」「うん」赤いスイートピーがもう一度流れる。「これ誰?」「聖子ちゃんよ」ユウちゃんは、この曲のどこが気に入ったのだろうか。また、あの場所が近づいてくる。「おじちゃんは、眠ってる?」ユウちゃんが、首を回して僕の方を向き、「眠ってる」と運転手に答えた。僕はずっと眠っていた。あなたが時計をちらっと見るところで、やっぱり、僕は泣きそうになる。どうしてかな……。
 赤いスイートピーが三回流れて、「もうすぐよ」とタコお母さんが言うのが聞こえた。それからしばらくして、姉の家に着いた。

posted by 望光憂輔 at 14:50| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アイスクリーム

「何を書いているの?」
「詩だよ」
「詩は絵?」
「うん、詩は絵だよ」

 紙さえあれば、どのような遊びにも発展することができた。お菓子を描くことも、お化けを描くこともできる。鋏で切って、野菜を作ってもいいし、猫や象を作ってもいい。丸めて放り投げてもいい。後ろなんか見ずに放り投げてもいいのだ。間違って、当たっても、紙じゃないか。角がないようにちゃんと丸めてから投げればいいのだ。紙さえあれば、何でも自由に想像を広げることができる。空だって飛べる。

「こうやって折るのよ」
 お祖母さんが、ユウちゃんに折り方を示してみせている。
「ほら、こうしてね。ばあちゃんのはよく飛ぶよ。それ」
 そうして力強く紙飛行機を飛ばしてみせた。すぐに落ちた。
「あれ? 飛ばなかったねえ。
 ユウちゃん、次は、何を折ろうか?」

「アイスクリーム!」すぐにユウちゃんが答えた。
「アイスクリームはできないよ」
 お祖母さんは、少し困った顔をしながら鶴を折り始めた。折って返して曲げて折ってという熟練の手さばきを、ユウちゃんは絨毯に手をついてじっと見つめていた。ただの紙であったものが、お祖母さんの手にかかれば、すぐさま野生の鳥にでも架空の生き物にでも変身してしまう。その確かな過程を、ユウちゃんは黙って見守っていた。タコお母さんが帰ってきた。

「おやつ食べる?」
「食べる!」
「何食べる?」
「アイスクリーム!」
 ユウちゃんは、迷いなく答えた。

posted by 望光憂輔 at 00:28| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月04日

ちょっとかたいね

「味がちょっとかたいね」
 てんぷらを食べながらユウちゃんが言った。この鋏かたいねと言う時のように言った。

「全国ちゅーんの、いれぶんセブンができたのよ」
 お祖母さんがデタラメなことを言った。

「味がちょっとかたいね」
 言い回しが気に入って、ユウちゃんは何度も繰り返している。

「虫! ハチ!」
 網戸の傍にいる虫を、見つけて指差す。小さな虫は、攻撃を仕掛けるために向かってくることはせず、むしろ網の隙間を見つけて外へ飛び出そうとしているようだった。隅の方を行ったり来たり彷徨っているが、なかなか自分の体を滑り込ませることのできる隙間を見つけられずにいるようだった。

「パペロンチーナを食べたのよ」
 お祖母さんが、またデタラメなことを言った。
 突然、ユウちゃんがスプーンを置き、手を使ってご飯を食べ始めた。素手で次々と口に放り込む。
「どうしたの?」タコお母さんが訊く。
「昔を、思い出したの?」
「お母さん!」
 口の周りがすっかり汚れてしまって、ユウちゃんが叫んだ。
「べたべた!」
 いつの間にか、小さな虫は見えなくなっていた。どこかに隙間を見つけて、脱出を遂げたのかもしれない。しばらくして、ユウちゃんは黙り込んだ。しばらくの間、ユウちゃんは無口だった。眠たくなったのか、顔を曇らせて、不機嫌な様子になっていき、やがて突然泣き出してしまった。
「ユウちゃん、どうしたかね?」
 ユウちゃんが泣き出すと、お祖母さんは、ありとあらゆる方法でユウちゃんを励まそうとする。おかしな顔をして、おかしな手振りをして、ザンブロッサスパゲティーのようなおかしな歌を歌い出す。そうすると、ほんの少しだけユウちゃんは元気を取り戻す。きっと、何度も何度もそうして歌ってきたのだろう。だから、ユウちゃんは、お祖母さんのことが大好きだ。
 その昔、タコお母さんにも、同じように歌っていたのかもしれない。


posted by 望光憂輔 at 15:43| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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