2010年07月29日

みかんの皮

 ユウちゃんは投げることが好きだった。朝目覚めては投げ、夜眠る前には投げ、それ以外の時は、眠っていたり食べていたり歌っていたり、それ以外に思いついた遊びをしていた。何を投げていいのかわるいのか、どこに投げていいのかわるいのか、それはわかっているようなわかっていないようなところがあり、時々思わぬものが飛んでくることがあるのだった。
 みかんを食べるかと思えば、みかんの皮が飛んできたのだった。僕はそれを受け止めたり、かわしたりしていたが、その小さな欠片は連続して飛んできて、その防御はなかなか大変だった。ユウちゃんは、割と遠くまで飛ばすことはできたが、コントロールはまだまだだった。ついに手元が狂って、みかんの皮はタコお母さんの顔に命中してしまったのだ。

「痛い!」
 タコお母さんは、眼を押さえて下を向いた。
「ユウちゃん!」
 ユウちゃんは、投げることをやめて、空っぽになった両手を下げて立っていた。その姿は、ホームランを浴びてしまった時のピッチャーのようだった。何も言わず、ユウちゃんは審判の方を見つめて立っていた。
「痛いよ、ユウちゃん。こんな時は、何て言うの? ねえ、ユウちゃん、何て言うの?」
 けれども、ユウちゃんは何も言わず、当惑に縛られたように動かなかった。
「お母さん、教えたよね。こんな時は何て言わなくちゃいけない?」
 タコお母さんは、ずっと眼の辺りを押さえたまま、ユウちゃんに話し続けていた。本当に、相当に痛いのか、それともユウちゃんが口を開くまでの時間、痛い形を保ち続けているのかのどちらかだった。

「わざとじゃないのはわかるよ。わかるけど、当たったよね。わざとじゃなくても、お母さんに当たったよ。痛い、痛い。お母さん、痛かったよ。ユウちゃん、こういう時は、何て言うんだった? 言ってごらん」
 とうとうユウちゃんは、泣き出してしまった。
「ごめんなさい! お母さん、ごめんなさい!」
 泣きながら、お母さんにしがみついた。
「お母さん、大丈夫?」
「大丈夫よ」
 タコお母さんは、ユウちゃんを抱きながら微笑んだ。

posted by 望光憂輔 at 12:56| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月28日

千里眼

「冷蔵庫!」
 ユウちゃんが叫ぶ。その指先を追ってみると遥か向こう、台所の冷蔵庫が僅かに開いているのがわかった。近くに転がっているボールを見逃すことはあったが、ずっと遠く離れているものを、ユウちゃんを見渡すことができた。誰もが見逃してしまう、僅かな隙間を、見つけ出すことができるのだった。
「まあ、すごい! よく見つけたね!」
 タコお母さんは、ユウちゃんが素晴らしい発見をするとちゃんと褒めてあげる。

「虫!」
 みんなでご飯を食べている時、突然ユウちゃんが宙を指して叫んだ。その一点がどこを見つめているのかわからず、みんなの視点はバラバラのところを彷徨って、再びユウちゃんの瞳に戻っては、再び散ってゆくのだった。窓の辺りかもしれないという意見が出て、みんなの視線が集中したが、そこに虫は見つからなかった。
「窓の外かねえ」お祖母さんが言った。けれども、ユウちゃんは豆腐を食べているのだった。
 虫は瞬間に消えてしまったのか。あるいは、大人の目には捕まえられない小さな発見だったのかもしれない。

posted by 望光憂輔 at 16:13| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月27日

永遠投手

 ユウちゃんは投げることが好きだった。基本となるのは勿論ボールだったけれど、とにかく投げることが好きだったので、投げるのに適当な物があれば何でもボールと同等の投げられる物になった。受け取ることは、まだ難しかったので一方的にユウちゃんが投げて、それを拾いに行くのはユウちゃんではなく、ほとんどの場合その辺にいる誰かなのだった。

「どこ行った?」
 テニスボールを投げた後で、ユウちゃんが訊いた。
「取ってきて」
 僕はユウちゃんの投げたボールを探し出して、ユウちゃんの近くに転がして渡す。するとユウちゃんはまた笑顔になって、勢いよくボールを遠くへ投げる。そうしてボールは行方不明になる。
「どこ行った?」
 投げては失うことを繰り返した。失うことも楽しみのひとつであるかのように、あえて遠くまで飛ばしているようでもあった。どこかへ消えていって、それが再び戻ってくると再び放り投げる。終わりのない遊び。
 ユウちゃんは、自分で探し出すよりも誰かに見つけてもらうことの方を好んだ。言ってみれば、ユウちゃんが人で僕が犬だった。けれども、犬であることはとても楽しかった。僕は忠実な犬となり、ボールを拾っては人の元へと届けることが好きだったし、人が笑顔でそれを待ってくれていることがうれしかったのだ。自分のすぐ傍にあるボールさえ、ユウちゃんは犬にお願いするのだ。

「取ってきて」

「どこ行った?」

posted by 望光憂輔 at 19:36| いとくるしい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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