2011年11月30日

新しいカード

 テーブルの上にカードを広げて終わったばかりの過去を再現していく。「もう一つの過去だけど」しんちゃんが言った。「後で場所を変えて他でやる?」時間外になってしまうので、もう全部は再現できそうもなかったのだ。類型的な形、推測できてしまう展開になったら手順を飛ばしてなるべく時間を省くようにした。「何か新しいカードが必要ね」皿に盛られた複数の野菜、キャベツやレタスやトマト、セロリ、パセリ、キュウリ、他にも紫色をした見たこともない野菜がある。「新しい感情が芽生えた時には」既存の言葉では足りず、例えば新しい恋を表すためには、まったく別の新しい言葉を作らなければならないとなっちゃんは言ったのだ。

 ラジオ体操が終わる。もうカードはいっぱいになってしまったので、次はデザインが変わることだろう。まぶしい陽射しを避けて屋内に入ると階段を上った。ちょうど歌人と新人が対談を始めたところで、僕は素知らぬ顔をしてその横を通り抜けると廊下の隅に置いてあった安楽椅子に座った。バスタオルを枕の代わりにして挟むととても良い心地である。こっそりと対談に耳を傾けながら、休んだ。

「もうへたばってるのか?」薄目を開けると班長が立っていた。今日の予定はもう終わりかと言って笑った。「僕は今終わったんです!」と反論すると、「みんなそうじゃないか」と言って一蹴された。「僕は昨日から眠っていないし」と付け足すと、「みんなそうじゃないか」と続けて返り蹴りにされる。「僕はただ少し言い訳したかっただけですから」と負け惜しみを言った。「だが、この子は好きだな」と横からこんじいさんが入ってきた。「なかなか意志が強いところがあってね」と言い、「ただ……」と続けた。「連絡してこないんだよ」と言って渋い顔になったので嫌な予感がする。「できるのにしてこないんだよ」と徐々に昔の話が始まり、執拗に礼儀作法について責め立てているのだった。こんなことなら、ただへたばっていると言われる方がましだ。まったく……。新しく話すことはないのか。もう何も言い返す気力もなく、顔を見るのも嫌になって僕は黙って靴を履いた。「やめるな……」出て行くところで、後ろから誰かが呟く声が聞こえた。やめる? やめるも何も……。その後に続く言葉は、何だろうと思いながら、歩き始めた。まぶしい陽射しが、足元にまで落ちて、爪先までもあたたかくなった。

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2011年11月29日

ポップコーン・レース

「どっかで見た顔だな」と彼らの中の一人は言ったけど、僕は彼らの中の誰も知らなかった。(僕の名前を知ったらきっと驚くだろう)彼らは何を求めて僕の周りに集まってきたのだろう。逃げることは小さな自尊心が許さなかった。けれども、よくみると彼らはみんな僕よりも背が低く、大勢で派手な格好をしているとしてもそう恐れるほどのことでもないとわかった。そろそろ行こうと誰かが言って、みんなは動き出した。音楽が流れスタジアムの中央にダンサーが入場してきた。さっきまで僕の目の前に立っていた彼らだった。その時よりも彼らは大きく見えた。躍動感あふれる踊りを途中まで見て、僕は歩き出した。ゲート前で、足を止めて種々のポスターを眺め、再び歩き始めた。

「ブーン」と声を出して車の真似をする男に追いついて、僕も「ブーン」と声を出して車になった。勇気を出してそうなってみると悪くなかった。他人の目を気にしさえしなければ、楽しみ方はもっと広がってゆくものだった。一瞬驚いた様子だった彼も、すぐに良きライバルの登場を歓迎して「ブーン」と言って加速した。「ブーン」僕も負けずに加速して、通行人を追い越しながら先を争った。まともな勝負は分が悪いと見たのか、突然彼は懐から塩を出して投げつけてきた。塩を浴びた僕の車は空回りして思うように進めない。そこで僕は考えて、懐から電子レンジを作り出すと、そこからすかさずポップコーンを作り出した。そうなると今度は塩がうまい具合に味付けに役立った。これには彼も面食らった様子で、「キーン」と言ってブレーキをかけたのだった。

 近道はついに見つけられず、マップの端まで歩いてきてしまった。ビルの入口で男は待ってくれていて、そこで僕はリュックを置いていくことにした。エレベーターを降りて、歩き出すと置いてきたはずのリュックのチャックを閉める僕がいて、自分でも驚いた。みんな無地のスーツを着ていたが、僕は微妙にストライプが入っているので大丈夫だろうか、と心配していると用心棒のようなおじさんが派手なストライプの入った緑スーツを着ていたので、僕は胸を張ってテーブルについた。葬儀は10分で終わり、帰りにお菓子をもらった。

「全勝だな」と誰かが言った。負けた感じはしていなかったが、そこまでとは思っていなかった。「優勝だな」と誰かが言った。まさか優勝するなんて思ってもみなかった。一つも負けていないのだから、優勝するのも当然の権利だ。「気合なんだよ。こういうのは」と誰かが言った。確かに、気持ちが入っているのと入っていないのとでは技術以上に結果に差を与えることがある。ホワイトボードの星取表を見ながら、僕は自分たちの順位を確かめた。僕たちは二年で優勝だった。

 階段を素通りして、次に下りる機会を窺った。次の階段も見送ってしまい、もう階段はなくなった。草が生い茂る階段も何もないところから、僕は駆け下りた。頭から先に落ちてしまいそうなところを何とか先に足を出して、駆け下りた。それから校庭を駆けた。まだ、体力があり余っていたのだった。無人の壇上に、優勝カップが天を指して輝いていた。僕たちの優勝カップだ。表彰式など開かれなくても、栄光は、僕たちの手の中にあるのだ。優勝カップに別れを告げて階段を駆け上がった。四階までたどり着いて教室のドアを開けると、先生は振り向いて、その他の者は前を向いたままだったが、みんな知らない人だったのでそのままドアを閉じた。注意深く中の様子を観察しながら、僕は正しい教室を探して歩いた。舞台の向こう、幕を開くと演劇的な女たちの姿が見え、決定的に行き過ぎたことを悟って引き返した。墨の匂いのする少人数の教室の中の一人を呼んだ。「ねえ」彼女はすぐにやってきて、話を聞いてくれた。「何をしているの?」「習字」予想通りの答だった。「向こうは?」向こうの教室を指して訊ねた。「先生は誰?」彼女は指を折りながら、「藤田、門田、脇田、森田よ」と教えてくれた。「全部タが付くんだね」奇妙な一致にときめいて歩き出した。ポップコーンの弾けるような音が、どこかの教室から聞こえてきた。


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2011年11月25日

回想駅伝

 エスカレーターには人一人が通れるほどのスペースしかなくて、人の横を通り抜けてゆくことはできない。前の人が立ち止まっていれば、その後ろの者も立ち止まっていなければならず、だから僕はずっと立ち止まったまま、前を塞ぐ人の背中を見つめているのだった。間に合うだろうか。順調に行けば、次の列車に間に合うはずだが、まだプラットホームは遥かに先だ。身動きの取れない姿勢で、見知らぬ人の背中を見つめたまま僕は機械的に運ばれてゆく。
 人数が足らないので試合に出てほしいという男は名前を名乗らなかった。とにかく出てほしいというけれど、どこで試合があるのかもよくわからない。「誰なんだ?」どうしても、出てほしいと言うのだが、詳しいことは何もわからなかった。どうしてこちらの電話番号がわかったのか不思議である。「駅は、どこですか?」こちらから確かめなければ何も始まらない。集まりが悪いのでどうしても来てほしいというそれはどうやら鳥取の方だということだ。
 家に戻る度にホワイトボードに文字が増えているのだった。元気ですという文字の下に誰かが元気ですと書き、そのまた下に元気ですと書き連ねてある。同じ元気ですを僕が一人で書くということはあり得ないことなのだから、この家には僕以外の誰かが出入しているのだ。気になって、ベッドの下や、冷蔵庫の裏を探ってみたけれど、文字を書きそうな連中はいなかった。
 エスカレーターは、ゆっくりと上に向かってゆく。長い長い上りの途中だ。
「今日ですか?」と問うと、日曜日まで毎日あるのでどうしても出てほしいという。「遠いので」と断ると待っているのでどうしても来るようにという。
 家に戻ると知らない人が集まって麻雀をしているということがあった。ホワイトボードを見ると勝負はこれからとか、自分を信じてとか、奇跡を起こせとかいった文字が増えていて、やはり僕以外の誰かが出入していることが明らかだった。盛り上がる麻雀と黒い煙から逃れるように、僕は二階へ上がった。
 発車のベルが鳴り響く。けれども、エスカレーターはまだ僕を運び終えない。長いベルだった。いつまでもそれは、乗車希望者を待ち続けるように鳴っていた。列車が動き始めた後も、鳴り止むことはなかった。もしかしたら、別のサイレンの一種だったのかもしれない。
 閉めたはずのカーテンが少しだけ開いている。閉めようとすると風が入り込んで、開いているのはカーテンだけではないことがわかった。一度、カーテンをすべて開けてみた。その時、ベランダに胡坐をかいた髪の長い男がいるのを見つけた。目が合うと、男は何かをついに見つけたような目をして、今にも動き始めそうだった。急いでカーテンを引き、男の視線を遮った。扉を閉めて、カーテン越しに鍵を掛けた。ホワイトボードに、落ち着いて、冷静に、気を確かに、と書き込んだ。ゆっくりと、もう一度カーテンを開けてみるとベランダは完全な夜に支配されたところだった。
 列車はどこにも止まることなく、折り返し地点にまで行くとそこから折り返し運転を始めた。どこで降りようとも、それは僕の知らない駅だった。どこで降りるべきか、動き始めた列車の中で僕は答を見つけなければならない。今日までのどこかに、そのヒントはあっただろうか。僕は目を閉じて、心地良い揺れの中で回想を始めた。

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2011年11月23日

空寝

 ゆっくりと速度を落とすと運転手は急にハンドルを大きく切って車をUターンさせた。どうして、ここで方向転換をするのか、道を間違えるにしてはあまりにも見通しの良すぎる道だった。「今日は大勢だから別のルートを選んだのね」と姉が言った。「姉ちゃん、行ったことあるの?」姉は、前に一度、まだ小さい頃に行ったことがあると言った。何もない道が続いて、変化のない雲を眺めているとうとうととしてきた。

 刀を持った子供ヒーローが次々と集まって悪役を取り囲み、代わる代わる切りかかる。止めをさしては終わってしまうから、ヒーローは微妙に力を落としては、次の友達に役目を渡す。ぐるぐると回りながらとめどない攻撃を繰り返す子供ヒーローの前に、三体の悪役はなす術もなくただ弱々しい抵抗。「もっとやれ! もっとやれ!」同世代の友達ってなんて素晴らしいのだろう。横を見れば、兄もテレビの中のヒーローに夢中だ。

 どこででも店員さんを呼べるように、僕は円盤を買ってきたのだ。袋から取り出してみるとやたらと円が大きい。真ん中のボタンを押すと、風が吹いたような音がした。失敗。これでは役に立ちそうもない。パッケージを見ながら「500円!」と姉が叫ぶ。「違うよ。100円だよ」僕はその値段はうその値段だと必死で訴えた。「100円だよ!」兄が円盤を手に取って、真ん中のボタンを押す。風の音を聞くと、鼻で笑った。「さて、バナナといえばこの人」テレビからは、バナナに因んだ有名人らしき人が登場する。誰? 知らないのか、興味がないのか、誰も答えない。

 ロッカールームには、紙くずや脱ぎ散らかした服、外れた扉が散乱していた。細々とした物を片付けた後に、重い扉だけが幾つも残った。自分一人の力だけではめ込んで元通りにする、一瞬それをイメージした後、すぐに打ち消した。適当につけてしまっては、すぐにまた外れてしまうかもしれない。外れた扉を幾つか抱えて、受付まで戻るとみんな忙しそうにしていた。「それで時間がかかったのか?」扉を見ながら先輩が言い、僕は大将の首を持ち帰ったような心地だった。外出から帰ってきた外国人にキーを渡そうとキーボックスの中を見ると、飴玉とメッセージが入っていて、僕は一瞬その文面に目を走らせてから飴玉を手に取り、外国人に向けて差し出した。

 カードに書かれたテーマに添って順番に話をすること。小林さんが簡単にルールの説明をしてくれた。「この部屋だったら子育てしたくなるね」と小林さんが言うように、適度に広く、白を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋だった。「そうそうこのカーペットが……」そう言いかけて床を指差すと、そこにカーペットはなくてフローリングの所々に布団が敷いたままになっているのだった。「壁の模様が……」と僕は言い直した。壁一面には、悩み多き羊の頭のようなものがもこもことくっついていた。「小林さん、新しいギャグを練習しておいたら?」おばさんに、不意に提案されて小林さんはばつがわるそうに眼を細めた。けれども、それによって変調を来たしたのは僕だった。トイレの中で、唾液とオレンジジュースを交互に吐き出した。出しても出しても唾液とオレンジジュースはおかしいほどに出てくる。その大いなるおかしさの中にすがって、今トイレの外で起きている出来事は、すべて遠い国の出来事であるように信じた。吐けば吐くほどおかしくなり、時間は過ぎて、世界は遠退いた。部屋に戻る頃、パーティーは終盤に差し掛かっていて、僕はそっとドアの隙間から転がり込んで横になり眠っている振りをした。ずっと眠っていたんだ、というような……。誰かの体が、肩にそっと触れた。けれども、眠っている僕は目を開けられない。僕の他にも、誰かが眠っているのかもしれない。やわらかい……。パラパラと拍手が鳴って、ざわざわとするのを、無数の足音が踏んづけて行くと、やがて部屋そのもののように静かになった。誰かが、僕の名を呼ぶ。三度目の名で、僕はそれを初めて聞いたかのように目覚める。「もうみんな行ったよ」と誰かが教えてくれる。女の子だと信じていた僕の肩に触れているのは、白い猫だった。再びトイレに戻って小さな用を済ますと、僕はバスに向かって飛行を開始する。真っ直ぐ、バスの側面に向けて近づいてゆく。バスはまだ止まっている。扉は、閉まっている。


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2011年11月22日

不戦敗

 闇の中を逃げ延びて、迷い迷いたどり着いた夜明け、玄関には貼り紙があって家賃380円アップと書かれている。家の中には誰もいなかった。そして、3つのフライパンには、それぞれ種火が点っていた。「姉ちゃん、火がついていたよ」帰ってきた姉に報告しても、姉は信じようとはしなかった。
「餅ちょうだい!」と言って二人の子供は両方から僕の腕を叩いた。人見知りだと思っていたのが、実はそうではなかったのだ。「餅はね、最近は作ってないんだよ。正月でも、餅は作ってないんだよ」僕はもう出かけなければならなかった。今日が大会当日であることに、当日気がついたのだ。8時半開始とは、いくらなんでも早すぎる! 「行ってきます」と家族に別れを言って、家の周りを回ったがどこにも僕の靴がなかった。裏口や西口や色々なところを探しても、誰かが間違えて履いていったのか、僕の靴はなかった。一瞬、あったと思い近づいていった時、それがよく似ているけれど実は違うということに気がついてがっかりとした。家の周りを何周かして、結局その似ている靴を履いて僕は出かけた。靴を履く瞬間、下駄を履いた老人が僕のことを見ていた。盗人を見るように見られていたのかもしれない。タクシーを拾おうとして手を上げた。ちょうどその時やってきたのがリムジンタクシーだったので、慌てて手を下ろした。もう一度封筒を開けて、プログラムを見返すと7時半から開会式が始まり、確かに試合開始は8時半になっていた。僕は封筒を上げてタクシーを拾った。いつの間にやってきたのか、ドアが開くと複数の男女が一斉に乗り込んだ。僕は呆然とその様子を見つめていた。「いいですか?」と運転手がなぜか僕に向かって微笑んだ。「いいです」そして、僕は地下鉄の階段を下りた。どうせ間に合わないことはわかっていた。遅れながら、確実に近づくことを選んだ。

 階段を下りて長い通路を歩いて、ドアを開けると会場ではお茶会のために多くの人が集まっていた。「地下鉄はどこですか?」誰構わず訊いた。女は、ドアの向こうを指差した。僕はすぐに歩き出した。確実に近づき、近づくごとにまた人に訊いて確実に進んでいくつもりだった。ドアの向こうでは別のお茶会が開かれていて、みんな正座をして座っている。人々の背中をかきわけて、先を急いだ。先頭集団に近づいた頃、1つの背中を振り向かせ「改札はどこですか?」と訊いた。女は振り返り、1つの方向を指差した。「元々そこが正しい道だから」と言った。
 30分遅れれば、棄権とみなされてしまうだろう。遅れて試合に入ればそれだけ大きなハンディを背負ってしまう。けれども、不戦勝となる直前で相手が現れたとしたら、そしてその相手と戦わなければならないとしたら。それもまた少なからずプレッシャーのある戦いになるはずだ。戦うことと戦わないことの差は、とてつもなく大きい。遅れてもいい。遅れるくらいなら遅すぎるということはない。ドアを開けると玄関が現れ、お茶会に参加する人々の靴であふれていた。靴の向きを揃える老人に、「改札はどこですか?」と訊くと、「上だ」と言うので、階段を上った。

 ドアを開けるとすぐにテーブルが置かれ、その端すれすれのところに幾つもの陶器が並べて置いてあった。もう少しのところで、触れてしまうところだった。触れる前から、陶器は各々兎のように震えており、少しでも触れてしまえばテーブルから落ちて割れてしまうところだった。僕は寸前のところで罠から逃れ、引っ込めた両手を下げた。「日本人か?」二人の内の一人が言った。僕は黙って頷く。「江口のドラマは見たのか?」僕は見たと答える。「だったら仕方がない」男はあっさりと諦めた様子で、次の目標物に切り換えるように目を灰色にした。その時、僕は難を逃れた両手がテーブルの下にくっついて離れないことに気がついた。得体の知れない強力な接着力で、くっついている。「おーい!」僕はたまらず抗議の叫びを上げた。「この手はいったいどうなっているんだ!」

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東京

 泥の中にはもう今は用済みになった資材や壊れた家具やタイヤなどが埋まっていて、そこが今日の合宿場所に割り当てられていた。一見すると黒いタイヤのように見える中には、明らかに人間の両脚に思えるものがあって、泥まみれになったデニムが黒く光っているように見えた。「人間じゃないか。人間じゃないか」と僕は人に言ったけど、誰も耳を貸す者はいなかった。みんなそれぞれに今の課題に、あるいは遊びに夢中だったからだ。泥のついた体に耐えられなくなって、僕は川の中に飛び込んだ。裸のまま、汚れを落としていると向こうから橋本君がやってきた。集団の中を1人抜け出てきたのだ。「橋本君。もうみんな帰るの?」橋本君は、まだみんなは帰らないと言った。1人で帰るわけにはいかなかった。洗い流した体を、また泥の中で汚さなければならない。

 商店街の中を歩いているとしきりに行き先を案内する声が聞こえた。「渋谷、新宿方面にお越しの方は……」長い商店街の中を歩いていると、突然道が開けて、広場が現れたり市場が現れたりした。浮かない顔をした人々は、それらの横道に惑わされることなく黙々と歩いた。しばらく歩くとタイヤが高く積み上げられた場所に出た。どれもみんな黒いタイヤばかり、大きさや性能を競い合うように並ぶ道が延々と続く、そこはタイヤ工場の一部かもしれなかった。商店街はいつの間にか終わり、夜明けの空が見えていた。巨大な看板には、あるゆるビジネスに向けて、エコパソコンの文字が赤く浮かぶ。1人のストリートミュージシャンの前で、何人かの者は足を止めて聴き入っていた。あるいは、ただ足を止めていた。音階の一部が気に入らないと2人組みの若者が言ったので、演者は2人に楽譜を手渡し、どちらの音を削ればいいかと持ちかけた。しばらくの間、2人はワインの種類を選ぶ時のような眼差しで譜面に顔を寄せていたけれど、突然横からふらふらと入ってきた男が、「俺に任せろ」と言うと、ストリートミュージシャンに向かって殴りかかった。ミュージシャンは右ストレート浴びながら、男を睨みつけると、「俺は金を借りてるだけ」と男は言って走り去っていった。「いいえ、知らない人です」と2人組の若者は否定して、楽譜を返した。ミュージシャンは起き上がり、何事もなかったように演奏が始まる。東京は、怖いところだ。
 電光掲示板がまぶしいほどに、朝はまだ暗かった。新しいフライト通勤プランを説明する文字が繰り返し、流れている。東京の人は、飛行機で通勤するのだろうか。

 駅構内に入り、階段を上った。まだ朝早いためエスカレーターは動いていないのだ。踊り場ではヘルメットを被り、配線工事をしている男がいる。一足先を歩く人は、同級生によく似ていて、僕は追いついてその隣を歩いた。その横顔は、同級生にそっくりだ。じっと見つめていると、男もこちらに気づいて見返した。しばらく見つめ合っていたが、彼は何も言葉を発しなかった。こちらが先に追いついて見つめるという行動を起こしたのだから、もしもその行動の意味がわかったならば、今度は向こうが先に言葉を出すべきだろう。東京に来て、言葉を失ってしまったのか、あるいはもう、友達ではないというのか……。僕は徐々に歩幅を狭め、彼に先を行かせた。彼の足取りは変わらない。容赦なく、先へ先へ進んでいった。電車はもう動き始めているのだろうか。上がれども上がれども階段は続き、改札口は現れなかった。僕は、同じ階段を上り続けているのかもしれない。踊り場では、ヘルメットを被り配線工事をしている男がいる。さっきとまるで同じ姿勢だった。東京は、広い。ガタガタと天上の揺れる音がして、電車が近づいていることに再び希望を持った。長い長い合宿の果てに、何段目かの階段を踏み歩いた先に、突然巨大な書店が現れた。まだ、5時だというのに……。地図を求めて、書店に入った。


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2011年11月21日

浴槽の鞄

 空っぽの浴槽に見たことのない鞄が置いてあった。少し家を留守にしていたせいだった。どう記憶を整理してみたところで、自分がそれを置いたということはない。では、いったい誰が置いたというのだろうか? 配達の人が親切すぎたせいで、宅配便が浴槽にまで届いた。そんな馬鹿な話があるものか。僕はまだ、鞄に触れることはできず、少し離れたところから観察することしかできなかった。タグらしいものは、どこにも見当たらない。いったい何が入っているのだろうか。好奇心の中には恐怖もあって、僕は触れることができなかった。誰か親しい人が、僕に荷物を届けようとしたけれどたまたま留守だったので、仕方なく浴槽に置いて行った。どうして浴槽なのだ。そんな親しい人などいもしない。僕は、疲れていたし風呂にも入りたかったけど、この鞄がある限りそれは許されない。一つの決断をしないことには、風呂に入ることもできないのだった。淡い期待を込めて僕は目を閉じる。
 一眠りした後、浴槽の鞄は消えてはいなかった。もっと恐ろしい可能性、これは泥棒の忘れ物ではないのか? けれども、家の中には何かを物色したような形跡はまるでなかった。元々散らかっている部屋はそれ以上に荒れ乱れることもなく、元のとおり散らかっているだけだった。泥棒ではない侵入者の別の目的は何だったのか。携帯電話を手にし数字を一つ押したところでやめてしまった。実際の被害が、何もない……。誰かに相談するべきか、誰か、こういう場合の専門家は。思い悩んでいる内に、もう一度自分の目を疑いたくなった。浴槽の汚れが、たまたま鞄に見えただけかもしれない。
 浴槽の鞄は、鞄と断定するにふさわしかった。僕はまだ、触れることができない。鼻先をゆっくり近づけると皮の匂いがした。顔を傾けて耳を澄ませた。静かだった。ぽつんと一粒、蛇口から落ちた。触れられないのは、僕の物ではないからだった。そして、その中からどのような物が現れたとしても、それを受け入れる覚悟ができないせいだった。しかし、そんなことが本当にあるだろうか。考えれば考えるほど不可解な出来事だった。家のゴミと一緒に、捨ててしまおう。一瞬そう考えた僕は震えていた。震えを止めようと、自分で自分を抱きしめると、震えはよりいっそう強くなった。

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2011年11月17日

乗り継ぎ

「乗車率は300%を超え通路からは苦情と友情の入り交じった特殊な空気が発生しました」とテレビのアナウンサーが帰省ラッシュの模様を伝えている。「私は、必死で高校生の後ろ髪を掴んでいました」と乗客のインタビューが続く。
 乗り換えのために新しい列車を探した。先頭車両の前側から乗り込むと既につれが一番入口に近い席に座っており、その隣には見知らぬおばさんが座っていた。発車まではまだ少し余裕があり、今ならまだ別の選択に切り換えることもできた。向こうの列車は……。「あれは回送車よ」とおばさんが答えた瞬間、電車の中の照明が消えてしまった。その向こうの列車は……。「あれは博多行きよ」すると逆戻りしてしまう。この列車で行くことを僕は第一候補とすることを考え始めた。運転手の隣の席が空いていた。できればつれの隣に座りたくて、「一つずれてもらっていいですか?」とおばさんに持ちかけたが、「私はここが気に入っているのよ」と冷たい。この列車に乗ると到着は何時になるだろう。「東京着は19時よ」とおばさんは答え、僕は逃げ出したくなってしまう。降りようとして、一歩歩き出すと入口のところで髪の長い少女が横たわっていた。声をかけて越えて行くことができず、僕は戻って運転手の隣に座った。眠っていればすぐだ……。「どうせ早く着いても何もないしね」とおばさんは言った。

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2011年11月16日

ドリームマッチ

 昨日は巨大なボスが通り過ぎたためにドリブル屋敷のコースは所々で壊れていたり、狭まっていたりした。成績優秀者は次々と帰っていき、残りは2人だけになってしまった。そこ狭くなっているからとコーチがわかったことを言う。もう早く帰りたかったけれど、ここまで来たらもう最後の1人になっても構わない気もした。スラロームを抜けると、次は反復ヨコドリブルコースだ。「頭を使ってやれ!」いきなりコーチが過酷な課題を出した。「オイルはつけなくてもいいから」一転して小さな配慮もみせたようだったが、「1000回でいいから」と事も無げに付け足したので気が狂いそうになった。それで過剰な反応をみせるのも癪に障るので、こちらも何事もないように言われたとおりに頭を下げて、反復ヨコドリブルに入るのだった。1往復した時、もしも異を唱えるとすればコーチの口から1000という数字が飛び出したまさにその瞬間で、唯一のチャンスを逃した自分の反応の鈍さに嫌気がさしていた。1000回! 何を馬鹿な! 100回だって充分に狂っているというのに。僕は頭を垂れながら、頭を地面に擦りつけながら、反復ヨコドリブルを繰り返す。長い髪の毛が、顔中に巻きついて、息が苦しい。だんだんと、息ができなくなってゆくのだった。

「さあ、みんなも降りておいでよ」

 僕は率先して降りてきて、テーブルの上のあえて不安定なフルーツの上で選手名簿を開く。当然みんな揺れているけど、それはまだ何も決まっていないということの象徴でもあるのだから、それが正解というわけで、案外そこまで理解して見守っているのは、むしろ子供の方が多かったりもするのだ。

「眠れない街をスタジアムにするのだ」

 手を貸せる人は手を貸してください。そう呼びかけるまでもなく、人々は降りてきて、きらめくボールの下に集まってくる。みんな心を1つにしたかったのだ。心を1つに寄り集まるための象徴としての何かを求めていたのだった。見知らぬ誰かと絡み合い、もつれ合い、抱き合いながら、人々は夜の中を降りてきた。ぼくときみはみんな1つだ。元から別のものなど、この世界にはなかったのだから、みんな同じ出発点を知っていて、みんなそこに帰りたかったのだから。勝手な理由と思い思いの服装で降りてくると、人々はごく自然に名簿の中に加わった。まるで、花見の衆に加わるように。

「一夜限りの夢を今夜も」

 ドリブルで駆け上がるが敵も味方も反応を示す者はごく僅かだった。降りてきたけれど、ほとんどのものはまだ眠っているのだ。味方に向けパスを出すと跳ね返って転々とし、ピンボールのような夜だった。スコアは何対何かで同点だった。何点入ったかは計測不能だったが、交互に入り続けていたのは間違いなかった。ほとんどの得点は僕と、あいつによるものだった。「反復ヨコドリブルは、最後までやったのか?」あいつは、いつの間にかいなくなっていたのだ。「まだ続いているよ」と僕は答えた。ボールはビルの間をすり抜け、人に当たって戻ってくる。風に乗って浮き上がり、桜の木の上で一休みする。幾度も繰り返される歌の中で、酩酊して、巨大化した魚の体内で警告を受ける。木だと思っていたものが突然、ボールを蹴り返してきて、止まっていた時計、人形たちが我に返ったように動き始める。

「ナショナルタイムは夜の内です」

 何者かが蹴り返したボールを僕は足の下で隠した。その時、自分は無収入なのだと突然気がつくが、僕は何も悟られないようにあいつの顔を睨みつける。ボールはカブトムシのように小さく、その気になれば何時間でも足の下に置いて隠しておくこともできたが、昆虫の俊敏で逞しい足は1秒間の間に何百本ものシュートを打つことができるのだし、未知の可能性と残された夜の光がゆっくりと僕の体を反転させた。ゆっくりとゴールの位置を確認して、ゆっくりと右足を引いた。シュート! そして、ゴール! となるはずだったボールは想像以上の空気抵抗を受けて、ゴールライン上で静止した。その瞬間、足を止めていたあいつがゴールに向かって走り出す。その様子を視界の隅に置きながら、僕は両の手をゴールに、そしてボールに向けて念を送った。小さなボールは、一文無しの手から送られる微弱な念を、確かに受け止める。熱を蓄えた水が、自分自身の中から何かを切り離す瞬間の微かなざわめきに似た仕草で、受け止める。静止したはずのボールは、今度は自らゴールに向けて動いた。初めて自分の意志を獲得したようだった。失点の瞬間を見届けてからゆっくりと振り返ったあいつに、僕は微笑み返した。

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2011年11月11日

野生の目覚め

 部屋の中に防犯カメラのようなものがあって近づいてみると赤いランプが消えていて、作動しているのか作動していないのかわからない。エアコンのスイッチと連動しているようでもあって、連動していないようでもあった。監視の下での生活を一瞬想像して、一瞬受け入れる覚悟をした。もう一度人形を組み立て直して、いつでも運べるようにしておいた。

「待ちなさい!」と止めても彼は、はやる気持ちを抑えきれないようだった。格子の隙間を通り抜けて駆け上がってしまった。人間には通れない程の小さな隙間、そこから覗き見上げると夕暮れの動物たちは、こちらの存在を知ってか知らずか塀や木の上に身を置きながらも微動だにしなかった。強い風が、通り過ぎるのを待っているように、あるいは夜を……。「帰ってくるかな?」姉が心配そうに言った。勢いだけで抜け出していったのならいいけれど。もしも、本当はこの瞬間をずっと待ち望んでいたとしたら。ついに、野生の目覚めが訪れてしまったのかもしれない。もう、家の事なんか忘れて、新しい世界で生きていくのだろうか。「どこに行く?」サラリーマンの一行が行き着く先について相談をしながら歩いている。「この辺にしておくか?」そうしてある店の中になだれ込んで行く。

 壊れたカメラを触りながら、いつまでも待っていた。部品の一つが取れて、それをどこに戻していいのかわからないのだった。カウンターの上を自分の机のようにして散らかしているとそれが誰かの目に留まってしまった。「いったい何をやっているんだ? ここは家じゃあないんだぞ。だいたいおまえなんか二十歳にもなっていない!」と言って責め立てた。「二十歳」と言ったところで隣にいた兄が鼻で笑った。それにしても遅い、遅すぎる。野菜汁というのは、そんなに時間がかかるものか。「遅い! 遅いなー!」カメラで責められた腹いせに僕は声を上げていた。「おじいさんが作っているんだから」と兄が諭した。おじいさんが、ゆっくりと作っているのだった。待ち切れない程待ちくたびれた頃、おばあさんが手に皿を載せて厨房の奥から現れた。「お待たせね」大きな皿の上には、倒れたクリスマスツリーのように竹の子が載っていた。野菜汁? これ、野菜汁……。

 人形を抱えて離れ座敷まで運んだ。そっとドアを開けると奥の方から何人かの歓談する声が聞こえた。忍び足で通路を通り、応接間まで行くとソファーの上に人形を寝かせた。三脚付のカメラがソファーの上を見つめていた。作動しているのか、作動していないのかわからいが、小さな息遣いが聞こえた。そのまま部屋を出ようとした。「フラッシュメモリを抜くのだ」どこからともなく父の声がした。急いで戻ってフラッシュメモリを抜き取った。人形は上を向き、ずっと目を開いていた。


posted by 望光憂輔 at 02:51| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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