2011年09月28日

夢のゴール

 家賃をちゃんと振り込んだ後は、その明細票を持って帰り部屋に飾っておくことにしている。それは何かの安心のためだった。もうちゃんと振り込んだから、ここに住んでも大丈夫という安心。先のことはともかく当面のとこは、ここに住みここで食べたり眠ったり夢見たり、夢見たことを記録に残してネットを通じて世界に発信したりできるのだと思うと、少し安心できる。
 狭く限られた空間の中で許されるボールタッチ、ドリブルがある。それは机の脚や、椅子の根本に当たらないように気をつけてするドリブルだ。僕は動いているようで動いていないドリブルを編み出す。前へ行こうとしたり森に行こうとしたり、後ろへ行こうとしたり京都に行こうとしたり、右へ行こうとしたり海に行こうとしたり、左へ行こうとしたりイスカンダルに行こうとしたり、そのような素振りの中で身体を動かして、何度もボールに触れるけれど、実際には僕はどこにも行っていないのだった。僕もボールもどこにも行かないが、ただ触れていると安心だった。実際に僕とボールがより自由に動き回ることができるのは、コサルの旅に出てからである。
 プレートモーニングを食べた後、コサルカップに出場すると僕はもつれながらゴールを決めた。何者かと(恐らくはそれは僕のシュートを阻もうとする勢力の中に含まれていた)もつれたために、僕はその場に倒れ込み昨夜の雨に濡れながらしばらくの間、夢を見ていた。

(緑男が引き返してきて店に入ったが、2名様ですかと間違われるのが嫌でしばらく表の看板の写真を眺めてから店内に入った。隅っこのテーブルに座り、隣のテーブルに手を伸ばしてメニューを取った。開くと文字と背景が同化して読み取ることができなかった。「カニの……」と告げて、後は店員が何か続きを言ってくれるのを期待することにした。「カニの……」おばさんはそこまで言って、何かを継ぎ足す気配を示さなかった。「バターラガー……メン、表に書いてあった奴……」と言っても、店員は「バターラガー……メン」と何も隙間を埋める言葉を示してはくれなかった。おばさんは、仕方ないという様子で表にその正体を突き止めに行ったきり戻ってこない。)

 夢から醒めて起き上がると、ゴール前に人の姿はなく代わりに僕の足先に触れたボールがふらふらと転がってネットまで到達するのが見えた。
 僕はゴールを決めたのだ。大会でのゴールは、普通のコサルの2倍から1000倍の感触、32倍から7億倍の感動があるのだった。
 ありがとう! コサルカップの神様!
 コサルチームメイトに駆け寄って、歓びを分かち合う。

 真昼の川は、闇の鱗だけが揺れている夜とは違って明るかった。橋の下には、釣りを楽しんでいる休日の午後の人々の姿も見られた。水面が日の光を浴びて輝いていた。それに吸い寄せられるように橋から身を乗り出して観察した。落葉が、無数の落葉が水面に浮び、やはりそれも輝きを放ちながら漂っている。ひんやりとした風の中で、僕は真夏のフルーツゼリーを思い浮かべた。


posted by 望光憂輔 at 21:43| コサルビト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月24日

待ち合わせ

 分岐点に差し掛かった時、自分の鼻を頼りにして進むべき方向を決める。お土産物の包み紙を折り返す紙の音が向こうから聞こえてくる。角を曲がる度に、人の数は少なくなっていき、ついにブライダルコーナーと書かれた大きな黒文字が目に入って、僕は進路を変更したかったけれど、横に逸れる道が少しも見つからないのだった。地上へと上がる階段もなく道は狭まってゆく。ブライダルコーナーを通り抜けて行く以外に、進み続ける術を持った道はないのだが、試着コーナーと書かれた赤い斜体のかかった文字が、僕の足を止めてしまった。

 彼女はまだ来ない。

 人形の頭から頭にかけて縄が貼ってあり、何人も地下には降りられないようになっていた。営業時間10:00から22:00と書かれている。けれども、ふと目を離して再び視線を戻した時には、人形も縄も消えて地下へと崩れ落ちて行く波が見えた。誰かがそれを動かして、降りていったのだろうか。僕はその場で靴を脱ぐと、流れに沿って地下へ降りて行った。交錯する人々は譲り合うことを知らず、力のある者が接触した人を押し戻したり、跳ね除けたりしながら広間の中を行き来していた。壁に押し付けられて、もがいている人、力が拮抗して押し相撲をしている人、転倒してどこまでも転がってゆく人の姿もあった。トイレを探して歩いていると登山に向かう途中のおばあさんにぶつかって、10メートルばかり押し戻されてしまう。親指を踏まれて顔が氷のように歪む。心配していた通り、トイレにスリッパなく、僕は裸足で入って行くよりはがまんして地上へ戻ることを選んだのだった。

 水色のスカートの裾から彼女の足が見えた。彼女が微笑むことによって蝶のように風が近寄ってきて僕の警戒を溶かした。けれども、彼女は階段の下に隠れてしまう。残像が充分に消えた頃、ちらりとそこに現れた。僕はくるりと背中を向けて歩き出す。「おはよう」と言って、彼女が呼び止めてくれる。「待った?」と訊くと、来たところよと彼女は答える。僕は正解も真実も望んではいなかった。靴を履いて、自分なりの結び方で靴紐を締める。彼女は歩いて、僕の方にやってくる。


posted by 望光憂輔 at 03:20| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月22日

光の速さで

 落ちているのが一枚のハンカチならばよかったのに。あるいは一塊の雪のように溶けてゆくものだったら。そこにあるのは紙パックの中に入った二切れの寿司だった。園長とは長く話した。
「動いているのは人間たちの方です」
 と言っても話していたのはほとんど園長の方で、途中からはほとんど僕は聞いてもいなかったのだ。「…おいしかった」ところどころ時間軸を無視して園長の言葉が再現される。少し前は、ライオンの檻の前に立っていた。
「彼らは決まった場所を僅かに動くことしかできません。それ以外のほとんどの時間、前を通り過ぎてゆく無数の人間を見ていることしかできないのです」

 僕は女の人のことを考えていたのだ。彼女の微笑が光で、僕はそれに向かってゆく虫だろうか。虫の一生は人の一生に比べて短いけれど、虫の一秒はきっと人の何年にも値するに違いない。光の元が太陽ならば、僕はいつかそれによって呑み込まれて焼き尽くされてしまうのだ。数十億年の先には。「…残ったら食べて」園長の知識、自慢、笑い声、そして、言葉の切れ端。
 この二切れは、僕が譲り受けたものだったか、園長が後で持ち帰るものだったか、定かではない。黙って持ち帰るべきか、戻ってもう一度確かめるべきか、しかしわざわざ確かめるような問題なのだろうか。この二切れがなかったことになってくれたら、いいのに。

(消えろ)
 僕は二切れに向かって、無意味な言葉を残してその場を離れた。

 自転車は猛スピードで二アサイドを通り抜けていった。ファーサイドは確かに、それより遥かに空いていたはずだったのに、自転車はニアを選択し、あえて狭いところをぶち抜いて行くことが秀逸な走法であるというように駆けて行ったのだ。昨日一日降り続いた雨のせいで、歩道のあちらこちらはまだ湿っていた。僕は何かを持ち去られたような気がした。あるいは、踏みにじられたような……。まだ、迷いや心残りは消えていなかった。だから僕はふらふらと歩き続けた。
 交差点に差し掛かると、一人の老人が信号待ちをしていた。車は一台も来なかったけれど、立ち止まり信号が変わるのを待っていた。何かをつれているように思えたが、足元に犬は見つからなかった。

posted by 望光憂輔 at 02:07| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月15日

プレートモーニング

 朝早くにコサルに出かけた。コサルの町に着くと、夜とは違ってコンビニエンスストアと人工的な明かり以外の町並み、それぞれの家の形が見え、道を歩けば夜よりもより遠くを、曲がり角を曲がればその遥か先の道やその先にある曲がり角の様子までもを見渡すことができた。そこにある町は、夜とは違ってより鮮明でより新しく家々が呼吸をしている音までも聞こえてきそうだった。水がすっかり引いた後に閉ざされていた幻の神殿が姿を現したような、朝だった。お腹が空いていた。フードコートは、朝が早いという理由で閉まっていた。うどん屋さんも、餃子の王将も、まだ朝が早いという理由で閉まっていた。

「この辺りに喫茶店はありませんか?」
 町の人に話しかけてみる。
「喫茶店なら、今あそこに人が歩いて行った道をずっと左に行き、打ちっ放しの傍にあります」
「ありがとうございます」
 コサルパーク・カステーロのすぐ前にそれらしき喫茶店はあった。
「朝はモーニングだけですか?」
 僕は焼き飯が食べたかった。
 マスターは、少し頷いてから奥へ姿をくらませ、モーニングの模型を抱え戻ってくるとこれだと言った。
 破れた部分がガムテープによって大型補強されたソファーに腰掛けて、プレートモーニングを食べた。分厚いトーストの中には目玉焼きのようなものが挟まれていて、充分な歯応えがあった。プレートの隅には、子供の頃好きだった林檎が一切れ載っていて一口含めば昔ながらの林檎の味がした。プレートの空いたスペースには、マスターの食べかけの菓子だろうか、ポテトチップスが散らばっていて、あたかも晩秋の落葉を思わせた。
 窓の外から、朝日がぱっと射し込んで落葉を照らした。落葉を食べながらホットコーヒーを飲むと、秋めいた暖かさの中で心地良く眠りの洞窟に引き込まれていきそうだった。
 このままここで眠ってしまったら……。
 コサルに来てコサルに行かずに眠ってしまったら、物語が変わってしまう。宇宙の原理が崩れてしまう。誰かが絵の具を足したように、一段と日の光が濃さを増した。晴れることは話には聞いていた朝、コサルカップが迫っていた。

posted by 望光憂輔 at 02:56| コサルビト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月09日

父かえる

 それぞれ車から降りてくるとゆっくりと家の方に歩いてきた。手を振っている者もいる。「死んだよ」と彼は言った。僕が聞き返そうとする前に「駄目だったよ」と彼は言い、その後ろで母が「あんたまた死に目に会えなかったね」と残念そうに言った。どうしてそんなに大変な事故だと教えてくれなかったのか、僕だけに。「情けないから式には出ない方が……」おまえはいいよというように彼は言った。車の方に荷物を取りに戻って行く。

「あいつ、誰なんだ?」
「遠い親戚でね、おまえのお兄さんにあたる人だよ」おばあさんが、教えてくれた。僕らは留守番をしていたのだ。
 壁に寄りかかり、脚を伸ばしていた。テレビがついていたけど、出演者の顔は嵐でぼやけてほとんど見分けがつかなかった。「ご飯に行こう」と親戚の人たちが誘いに来た。車のドアが閉まり、次々とエンジンのかかる音がしている。「僕はいいよ」伯父さんに言った。ご飯どころではなかった。それどころではないという雰囲気でいることで自分の存在が保たれるような気がした。伯父さんの後ろにあいつの姿が見えたのだ。伸び切った脚を責めるようにこちらを見ている。少し笑っている。

「あいつ、誰なんだ?」
 車が全部いなくなってから、僕はひとりで泣いた。あいつが誰かわからなくて、泣いた。しばらくして、父が死んだのだということが思い出されて、更に泣いた。
 ルールがわからなくて、僕は陣地の外にいたり中にいたりした。人の動作や視線に合わせて動いた。味方の一人について、線の外に出ると、誰かが舌打ちする音が聞こえた。ルーズボールがちょうど僕の前に飛んできて、わけもわからず僕はそれを手で受け止めた。「もどれー!」大勢の指示が一斉に浴びせられ、僕は急いで陣地の中に走って行った。中央まで来ると、「なんで戻るんだ?」と声がして、直後に笛が鳴らされた。みなため息を漏らしている。「掃除しとけよ」それぐらいできるだろう。

「ドライよ」 
 僕は間違えてウェットタイプを買ってきてしまった。何も聞いていなかったからどちらでもいいのだと思った。ところがそうではなかった。確かめてから行けばよかったが、ついこの前、根掘り葉掘り訊きすぎて怒られたのでそれはできなかったのだ。彼女はドライが当然だというように言い、すぐに替えてきてもらうようにと言った。雫の落ちる傘を、僕はもう一度開いた。同じ数ほどなかったために、単純な交換ができなかった。1つのシートは返品扱いとなり、返金してもらうことになったが、店員はなかなかレジを上手く操作することができなかった。その内、もういいやという様子で僕にお金を手渡してくれた。ドライを持ち帰り事情を説明すると、彼女は納得してくれた。「じゃあ、帰ります」そう言って3秒間彼女の方を見ていた。彼女はついに無言のままだった。

 父が、疲れた顔で戻ってきた。父が死んだことは嘘だった。「あいつ、誰なんだ?」という思いも、父が生きていたことと並べれば、もうどうでもいいこととなった。父はソファーに横になるとすぐに鼾をかきはじめて、僕の関心ごとは今はテレビになった。テレビに近づき、テレビを抱え、テレビの中の嵐と向き合った。鼾と嵐の競演の中で、僕が触れている間、出演者は少しだけ人間らしい色を取り戻していた。アンテナがまだ立っていた頃、こうではなかった。テレビの向きを少し変えてみる。一人の人間の顔が重なって見える。あるいは、腕からもう一つの腕が現れてもう一人の顔を掴んでしまう。しばらくして、僕はあきらめ手を離す。一時鼾が止んで、僕は父の方を振り返る。明日、父が目覚めたら、テレビのことを相談してみよう。あいつの父ではなく、僕の父に。


posted by 望光憂輔 at 19:32| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

蝶の飛翔

 積もりに積もった新聞が人々を苦しめていた。刷っても刷っても時代に追いつけず、町中の自転車は新聞を届けるためだけに駆り出されたが、やがて配達人の方が足りなくなってしまうと、乗り手を失った自転車が積み上げられた新聞だけを載せて、あてもなく夜明けの町を彷徨い続けた。心ない者は、信号待ちをする無人の自転車からこっそりと新聞を抜き取って盗み読みをしたり、そのまま持ち帰ったりした。また、心ない者は、鍵のないのをいいことに、目的を持った自転車に勝手に乗り込んでそのまま自分の物にしてしまった。
「自転車泥棒現る」
 新聞は毎日のように同じ事を書き続けた。

「図書館が閉まってしまう」
 200年ほど閉まってしまうので、その前に本を取ってきて欲しいと頼まれたのだ。
 ドアを開けると、閉鎖されることを知らないのか、時代を間違えたのか、先生がまだ授業をしていた。
 人々は本を持ち出すことにだけ夢中で、誰もその声に耳を傾ける者はなかった。1つだけ残っていた椅子に腰掛けていると、まるで興味もないのに、少しは先生の声が耳に入ってきて、探すべき本の名前を忘れてしまった。先生はどうでもいい話を延々としていた。珍しい名前の蝶の生息についてのあれこれ。どこから来て、どこへ向かうのか、その根拠はあるのか、証拠はあるのか、いつからそうなのか、それは誰が発見したのか、どこまでわかっているのか、わかっていないのか、いつになったらわかるのか、楽しそうに、蝶と一緒に、旅をしているように。まるで自分もその仲間でもあるように。どうして自分がどうでもいいことに、これほど興味を持てる人がいるのだろう。熱い。どうしてだろう。どうしてそこまで……。ただわけもなく、その熱さだけが感じられ、その反対の冷たさに奇妙な安心を覚えた。こんなに近くで見ていても、先生は僕の存在に気づいていないのだった。先生の関心のすべては、蝶の飛翔にあって、僕などには少しもないのだ。先生の前でなら、僕は何を考え何をしていてもいいし、自分以外の誰かになってみることもできるのだ。先生には先生の世界、僕には僕の……。
(おやすみなさい)
 先生が見果てぬ夢を見ている間に、僕は逃げていきます。

 英和辞典を一冊取って戻ると、車はエンジンをかけたまま待っていた。
「これでよかった?」
 本についての答えは何もなかった。
「遅かったね」
 ゆっくりと車が動き出した。


posted by 望光憂輔 at 18:45| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

部外者

 扉を開けてキープしてあったフランクフルトを取り出して食べた。疑わしい眼で店員の一人が見たが、僕には何もやましいことがなかった。おみやげに豚肉を持って帰った。 何か作ってくれと兄がしつこかった。本気で作るとすごいものができると僕は言った。ありったけの調味料を混ぜ合わせて特製の合わせ調味料を作った。冷蔵庫にあった余り野菜と豚肉をフライパンで炒めたが、野菜が少し物足りなかった。「うまい」兄がぼそりと言った。フライパンを洗っていると、段ボール箱の中に玉ネギやトマトが入っているのを見つけて少しがっかりした。冷蔵庫に気を取られて、低いところを見逃していたのだった。洗うにつれて、表面からキャベツの切れ端が浮いてきて、膨らんできた。こんなにもたくさんのキャベツがフライパンの底に張りついていたとは思わなかった。洗ってもきりがないため、僕はもう一度フライパンに火をつけて焼き尽くすことにした。再び火を点けるとジュッと音がして、フライパンの中央にクリスマスツリーのような炎が浮かび上がった。僕は慌てて、バケツに水を溜めてかけようとした。「何をしてるの?」裏口から入ってきて姉が怒った。「駄目よ!」姉の一声で水道の水が勝手に止まった。「手で優しく」炎を包み込むようにと姉が言った。

 体育館に近づいたところで、僕は服装を間違えたことに気がついたけど、鞄も持ってきていなかったのでもう一度家まで帰らなければならない。まだ、1時間ほど余裕があるのでとりあえず体育館に向かった。大勢の人の気配がした。朝連のメンバーではなく、まるで知らない人たち、家族的な集まりが見えた。表に何か貼り紙があったが、朝早いためそれはまだはっきりとした文字にはなっていなかった。部外者……。まるで僕の方が部外者に思われた時、見覚えのある顔が2つ近づいてきて安心した。彼らは、そのまま中へ入っていこうとする。その時、先生が出てきて、「今日、朝練はないんだ」と言い2人の足を止めた。「特別合宿が入っていて……」2人は文句を言いながら、次の朝練の日を訊ねた。僕は服装を間違えて正解だと思った。次の日付を盗み聞きながら引き返した。突然、草の中からジョンが現れて駆け寄ってきた。ジョンは僕のすぐ傍まで来るとぶるぶると背中を揺さぶった。「泥をいっぱいつけてしまったよ」とジョンは言った。昨日、風呂に入ったばかりだった。

 兄はコタツの中で丸くなって亀のようだ。時々頭が動くとそれにつれて甲羅が動き、その上のお茶が零れそうになった。「寒い!」と窓の隙間に向かって言った。無反応を通しているとついに抜け出して、細身の人間のような形で歩いて行く。その隙に、僕はコタツに向けて放尿した。「外から見えるぞ!」と兄は少しだけ大きい声を出して玄関の戸を閉めに行った。今から、スーパーに守り刀を預けにいかなければいけない。生身の刀では、他人に恐怖感や思わぬ想像を起こさせるかもしれないと僕は思った。洗面所の窓辺で僕は探していたものを発見した。「鞘に入れていく?」父に確かめた。「そうそう」当然だというように父は答え、またピアノを弾き始めた。僕は歩いて行く自分の姿を既に想像していたけれど、誰かに車を出して欲しかった。「みんなで行こうよ」と本当は言いたかった。けれども、兄はコタツの中に深く埋まって、新聞とキスをしていた。

posted by 望光憂輔 at 21:01| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カスタネット

古びた鏡を覗き込むと昨日とは違う何者かがこちらを見つめている。その目、どこを見ているかわからないような、その目には見覚えがあった。彼はいったい何を考えどこを見つめているのだろう。そして、明日はどのように変わってゆくのだろう。見る度にそれは変わってゆくのだし、変わってゆくという事実だけがわかっているのだ。
月にかかりそうな雲が、今日は山のように見えたから、山の夢を見るのだろうか。

その日のことを振り返ってみるとあまり面白くなかった。けれども、また次に振り返ってみるととても楽しかった。そして、また次に振り返ってみると、その時は少しは面白いようにも思えたがそれほど楽しいというほどでもなかった。そうしてそれを結論とした。ところが、また次に振り返ってみると大層楽しいものであったと思えた。けれども、また次に振り返ってみると、とりたてて素敵と言えるほどのものもなく、どちらかと言うとつまらないものだった。そうしてそれを最終の結論とした。ところが、また次に振り返ってみるとすこぶるそれは楽しげで、しあわせがいっぱい詰め込んであるように思えて、今さらに微笑むことができるくらいだった。かつての結論は、次に振り返る度に覆ることがあることがわかり、結論付けることの意味がだんだんわからなくなってゆく。それでも、幾度となく振り返ってみるのだ。懐かしむために、涙を流すために、時にはただ振り返るためだけに振り返ってみるのだ。
僕は、確かに、同じ場所を振り返っているのだろうか……。
古びた鏡を覗き込むと月の向こうで、誰かが手を振っている。

大きく前に手を広げて構えていると、のこのこと蚊はやってきて僕の手の間に入った。
すべては犠牲の上に成り立っていることを示すように留まっている。

「さあ、カスタネットを打つがよい」

命じられるままに、僕はカスタネットを打つ。同じ風景などありはしない。
夢への扉が、開かれる。

posted by 望光憂輔 at 19:19| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月30日

黒服

「そんなかっこいいスーツを着てるのにもったいないよ」とその子は言ったけどスーツなどではなかった。海のすぐ近くに家があるので少し抜け出て家に帰り、もう少し薄手の上着に着替えてくることもできたのだ。「ジャケットを取ってきてよ」誰かの言う声がした。何もしていないと寒くなるし、どうかすればすぐに暑くなってしまうような難しい海辺だった。
 留守番の家にはおじいさんが寝込んでいた。ずっと寝たままなので僕は遊んでもらうこともできず、何かをしてあげることもなかった。隣の家の壁に落書きが見つかったと言っておじさんが騒ぐので僕はその騒ぎの中に参加するために表に出た。ローマ字だろうかカタカナだろうか誰の仕業だろうかとおじさんは頭を抱えていたので、僕も一緒になって頭をひねって考えた。文字の上をなぞってみる壁は冷たく、その向こうには閉め切った窓とカーテンの隙間からじっと様子を窺っている子供の姿があった。車が止まる音がして姉が見舞いの人を大勢つれて帰ってきた。「あんた何をしているの?」そんなところで遊んで、おじいさんはどうなったのと姉は言った。知らない人が家の中に上がり込んできて、無言でおじいさんに手を合わせた。
 北海道で撮った写真の中には知らない子供が2人笑っていた。幼い頃に一泊して一緒に遊んだのだが、それ以外のことはわからなかった。古びたアルバムの中から写真やお気に入りの新聞記事を切り取って、スーツに勲章のように貼り付けた。隣の家にみんなで挨拶に行かなければならなかった。突然のことで、みんな疲れているだろうから何か疲れのとれる食べ物をもって行かなければならない。どういう言葉をかければいいのか、僕は適当な言葉を知らなかった。「おばちゃん、何か甘い物もらってもいい?」隣の家のしほちゃんがやってきた。しほちゃんも疲れているようだった。しほちゃんは甘い物を少しだけ食べて帰って行った。「ほら、早く行ってあげないと」と姉が急かすように言った。「みんなちゃんとした黒い服を着てよね」僕は、これでどうかと問うように勲章で輝いたスーツを持ち上げてみせた。「なんか古い感じになっちゃうのよね」姉がもごもごと言った。

posted by 望光憂輔 at 03:11| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月29日

自由研究

 因数分解された部品をかき集めて博士はロケットを作った。補助輪をまずは後ろ側につけたのは、2番目に飛ぶつもりだったからだが(みんなは勿論最初に飛んでほしかったが博士はシャイだった)、大国の博士も先に飛ぶつもりはなく、「お先にどうぞ」と言うのだった。補助輪が中央と後部、つまり後半に偏っておりそれで無事飛ぶことができるかどうか怪しかったが、「大丈夫、大丈夫」大国の博士に促されて博士はスタートを切った。それっ! 助走をつけて博士のロケットは飛び立ったが、発射台を出た瞬間、機体は既に勢いを失っており不出来な紙飛行機のようにほとんど前には進まず、そこら辺を少し浮き上がって彷徨っているだけなのだった。「捕まえろ!」もう一度やり直すために、捕まえろと指示が飛んだ。けれども、そこは紙飛行機と違って金属の塊であり、そう容易く捕まえることなどできないので、仕方なくコーヒーブレイクとなった。
 少し前には無数の蟻たちが蠢いていた、非日常のテーブルの上で、女は平気な顔をして朝食を食べている。人の気配を感じて彼らは去っていった。のんびりと活動しているように見えたものの、その逃げ足は水のように速かった。破裂した水風船から飛び散ってゆく水のように……。そして、女はそんなことは何も知らずに(勿論、博士のロケットが大変なことも)朝食を食べているのだった。僕は紅茶の方が好きだった。あちらこちらにコーヒーがおいしいこと、コーヒーに対してただならぬこだわりを持っていることが書かれてあったが、僕は紅茶を頼んだ。ゆっくりとコーヒーを味わっている場合ではないことが、誰よりもわかっているつもりだったからだ。

「危ない! 接触するぞ!」
 ロケットを素手で捕まえようとするが、コントロールを失ってビルと接触すると火花が上がった。緊急ボタンがついていないことがわかり、それを停止させる手段がないことが確認された。
「このままでは町が危険だ!」
 直ちに各主要駅に緊急で回覧板が回されるように手配がなされた。そうしている間にも、ロケットはあらゆるビル、あらゆる壁、あらゆる厳つい男の肩に当たって狂ったような破壊と逃走を続けていたのだった。
「虫取り網を持って来い!」
 各ホームセンターから虫取り網が集められ、我こそはという虫取り名人が全国から直ちに招集された。優勝したのは小学2年生のヒロアキくん。網の中に捕らえた博士と並んで誇らしげに笑っている。将来の夢は宇宙飛行士だ。
「ありがとう!」
 網の中から博士の白い歯が零れた。



posted by 望光憂輔 at 15:38| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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