2011年08月26日

つわり

「僕たち兄弟みたいだね」いつの間にか、彼は僕の部屋に住み着いていて馴れ馴れしくくっついてきた。「同じ名前だから、僕のこと嫌いだったでしょ」と言うと彼はただにやり微笑むだけだった。気が変になりそうで、僕は急いで家を出ることに決めた。車を走らせると横には知らない犬が乗っていたし、後ろには巨大なサンドイッチがいて、運転はどうだと訊いた。「車庫から出る時が手間取って」僕は家を出る時の話をした。「後退してようやく出た時に、後ろには車が3台も並んでた」僕の出るのを待ってくれていたのだった。「3台。ふふふ」とサンドイッチが笑った。車はスーパーの中を通り、壮大な野菜売り場を抜けると薄暗い森の中を走っていた。幾つも木が垂れ下がってきて、フロント硝子を撫で付けた。小道に出て、緩やかな上り坂を越えるとまた大通りに戻った。右折して、アクセルを踏んだ。足の下には橋があった。橋の上を走る僕の手はしっかりとハンドルを握って……。けれども、その時僕は突然、自分が握っているのが空っぽの植木鉢だということに気がついた。瞬間、僕の身体は浮き上がり、加速から自由になった。激しく傷み、剥げ落ち、錆びついた車が川底深くに沈んでいるのが見えた。車は、ずっと昔からそこにあり、一度も僕を乗せたことはない。けれども、確かに感触が生々しく残っているのだった。「つわりというのを知っていますか?」先生は言った。「言葉は聞いたことがあります」つわりという現象が元となり感覚の入れ替えが行われている、と先生は言った。「ポジションがないですよ」と父が階段を下りてきた時、母があなたのすぐ横に、同時に2階にも存在している時、父の行き場がもうトイレしかないという状況。そして、言葉は戦争反対、エンジン全開、因数分解……。そのようにすり替えられていく。気をつけなさい。

posted by 望光憂輔 at 15:59| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

楽しいことが起こる

未来の扉が開かれる音が聴こえ、きみは現れる。
「とても楽しいことが起こる。想像を絶するような」
夢と現実の衣装を着て歩いている。
「なんだその格好は、夢と現実の区別もつかないのか?」
サンドイッチの中のレタスがしゃしゃり出てきてクレームをつける。

「つくわけがないだろう」
そうしてきみは卓球台の上を歩いていき、ギターの橋を渡ったところで急に立ち止まった。
何かあるのか……。
僕は目を留めて、きみの視線の先の何かを探す。
古びた看板、干からびた格言のような言葉。

現実逃避……現実の中に逃げ込むこと。
きみの後を追って歩いていると、夢の中から汗が滲み出てくる。

posted by 望光憂輔 at 03:33| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月10日

卓球電車

 長く続くラリーの途中で、車掌が卓球券の確認に割り込んできたので、山形のボールを返す間にポケットから切符を取り出してみせた。恐れ入れますと言って車掌は去っていく。向こう側の対戦相手には確認しないのか。あれは子供だからいいのだろうか。あの子は、ボールを拾いに行って戻ってくるとボールの色が変わっている。それから僕は勝てなくなった。色ばかりではない、大きさも、重さも、形だって微妙に変わっているのだ。だんだんと押し込まれて、次第に歯が立たないようになっていった。「まだやるの?」と挑発的な笑顔を見せながら少年は言った。本当のボールだったら、マイボールだったら勝てるのだが……。僕はタイムを申し入れた。スポーツ車の中には、種々の競技用ボールが置かれていた。ライスボール、ピンボール、ドッジボール、キャッチボール、スペースボール、デッドボール、バランスボール、スーパーボール……。ありとあらゆるボールが置かれているようだったが、不思議と卓球用ボールが見つからないのは、僕がそれを探しているせいかもしれなかった。ギターを手にして、男は列車を切り離そうとしていた。「危ないじゃないか」けれども、男は陶酔してギターを弾いているので止められなかった。切り離された方の列車には、僕だけが残っていて、みんなは行ってしまった。遠ざかる男は、こちらに向かってギターを投げた。届くはずはなかったが、聴こえるはずのない弦の音が耳元で鳴った。

 地図の真ん中に現れた窓に、中くらいのボールと打ち込んで検索するとその数はあまりに多すぎて、僕の探求心を挫いた。見つけるまでは家に帰るわけにもいかず、夜の街を彷徨った。あの少年が見つからないように窓から投げ捨てたのだとすれば、この街のどこかで偶然それを見つけてもおかしくはなかった。けれども、それには日頃の行いが認められて世界から祝福されるくらいの偶然の重なりが必要で、そう思った時、自分には誇れるものなんて何もないのだと気がついた。街角に立ち止まって、爪切りでぽつぽつと爪を切った。少しずつ順番に切ってゆき、それから最初に戻ってまた切り直した。何かをしているパフォーマンスが欲しかったのだろうか。なるべく少しずつ、できる限り少しずつと考えて爪を切った。できることなら、切れたという爪音だけをさせて少しも切れていないで欲しかった。あるいは、十指に続く指とあり余る爪が欲しかった。まだ切り続けることができるだろうか……。街灯に照らして、何度も爪の色を見つめた。僕は、恐竜バーの前にいて、奇跡のように誰かが出てくるのを待っていた。

posted by 望光憂輔 at 12:53| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

待つ女

 ここにいないはずの僕の名を呼ぶので仕方がなくレジに立った。「1000円からでいいですか?」彼女はちょっと待ってと言って、それからしばらく探している様子だったけれど、不意に僕の名を呼んだので驚いてしまった。「……ですよね?」僕のことを知っていてくれてうれしかったけれど、その後で何を返せばいいかわからず困りながら894円をレジの中から作っていたのだ。894円の硬貨を上手く取り出すことはなかなか大変で、どこかに置き場所があればよかったのだけれど、それを自分の手にしてしまうと効率が落ちるし、片手ではとても足りない。彼女は僕の前に立ったまま手を下ろしているし、いつか手を出してくれるかもしれないと思っても、いつまでも下ろしたまま僕の方を見ているのだ。894円を返すにしては、少し時間がかかりすぎているのではないか。指の先で硬貨が跳ねる音がするが、一向に僕の手の中にそれは集まってはこなかった。僕は十指を使った何かの演奏をしているのかもしれない。あるいはパンを作っているのかもしれない。けれども、僕の前で、何かを待っている女がいる。硬貨はどれも似たような大きさをしていたし、似たような色をしていたし、手に取って数えていても限界があるように感じた。894円という中途半端な数字なら、いっそもう1000円でいい。預かった1000円を僕はそのまま彼女に返した。「でも、それでは……」と彼女は最初受け取ろうとしなかったが、894円を置く場所がないし、どうせ僕は今日で最後だからと言うと妙に納得してくれた。「5時までですよね?」どうせ最後だから、もう少しいてもよかったけれど、名残惜しむ態度をみせるのも気恥ずかしく、帰ることにした。事務所の奥には知らない男が父でもないのにこちらに背を向けて座っていた。残り少なくはあったが、どうせもういいのだからと思い、僕はティッシュを引き取ってたくさん鼻をかんだ。その間、やはり男は背中を向けて座っていた。父でもないのに……。
 夜の街に繰り出したかった。けれども、この辺りには夜の街などなく、あるとすれば電車に乗って1時間ばかり先にあるのだった。こんな夜には、家に帰って真っ直ぐに取り溜めておいたテレビ番組を見るのもいい。僕は学校に行った。夜の学校は冷たく、廊下をすれ違う人も、誰であろうとまるで挨拶もしなかった。とうとう誰とも話さずに、鞄だけを取って下足箱のところまで下りていくと、先生が入ってきた。「あなたは英語が得意だったわね?」僕はそうでもありませんと答えて、先生について踊り場に行った。何も得意じゃないと言った。「得意なものがないなんて寂しいじゃない」言いながら先生はパンフレットを広げてみせた。どれもできそうもなかった。パンでも作ろうかと言ってみた。「パンが好きなの?」そうでもないです、と僕は言った。

posted by 望光憂輔 at 04:10| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月08日

ミッション

 一握りの銀玉を手にフロアを移動しようとすると「ちょっと待って」と係員に止められてしまう。広げた手に顔を近づけて本物かどうかを確認する。銀玉にはどれにも2という数字が掘られていた。念のためにと言って係員は無線で連絡を取っていた。しばらくして、やはり駄目だと言った。この銀玉を持ったまま違うフロアに行くことはできないのだった。使い切る場所を選ぶため行ったり来たりして、端の席に座るとそこはモニターも目標もなく、ただ椅子しかなかったので、僕は驚いて立ち上がった。子供たちが前の方で夕方のアニメを見ていて、少し離れて後ろの方でお母さんたちが固まって座っていた。邪魔をするのは少し気が引けたが、銀玉を流し込むと大音量でマシンが発車した。敵の攻撃をかいくぐりながら、ライバル車を追い抜き、制限時間内にミッションをクリアしたつもりが、僕はゴール隣の丘に乗り上げていたため、失格となりそのままゲームオーバーになってしまった。爆音を残し席を立つ。蔑むような少女の視線が刺さって膝が折れそうになるのを、耐えながら僕は歩いた。ようやくフロアを移動することができる。安堵の中の虚無感。どうして僕は、本屋の中にいないのか。
「今度のコピーはあんたに頼むかもよ」と姉が言った。昨年は主人公が迷子になっていて、鞄の中からバナナが出てくるという設定だった。「迷子というのはもう使えないね」だいたい迷子というのはどこにでもいるのだし、僕は小さな冷蔵庫のことを考えていたのだ。けれども、それをどのように持ち出していいかわからなかった。小さな冷蔵庫の中には、大きなペットボトルも、大きなマヨネーズも、大きなめんつゆさえも入れることができなかったし、エリンギさえも苦労が絶えなかったというのに、夜泣きが酷くしばしば夢見の妨げとなっていた。「テーマは一人暮らしでいい?」突然、それは浮んできた。バナナというのは冷蔵庫に入れなくていいのだ。

 掃除機の先端が試着室の下まで迫ってきて、僕の爪先を突っついた。徐々に照明が消されていく隙間に僕は一着の服を選んでバスに乗り込んだ。盗み出すような真似をしたのは、奴らが先に追い出すような真似をしたからだ。リンクの上をバスは通過する。課題に沿って滑っていた生徒たちは、やがて思い思いの滑りを覚え始めて、ついに自由演技に到達する。アクロバティックスケートがバスを取り巻いて、ささやかな銀河のように輝きながら、旅は続いた。バナナのように青い丘を越えて、バスは宿に到着した。襖を開けると母はいない。同じような廊下を歩いて同じような襖を開けるとそこにも母はいない。「そこは違うのよ。次のバスが来るための準備をしているの」母の声だけが聞こえ、襖を閉めて、再び歩き続ける。襖を開けると広々とした部屋が広がっていて、幾つもの襖がまやかしのように並んでいた。襖を開けて進むと、更に部屋が開け、次の襖を開けると、次の部屋が一段と広く開けた。戻れなくなって、進んだ。母の声が聞こえるような気がするが、それは雨音に似ていた。追われているような気がして、突き進んだ。前に見たような鳥の絵の襖が現れた。襖を開けると庭があり、女が池を覗き込んでいた。

posted by 望光憂輔 at 15:12| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

ゲーム論議

「ねえ、ちょっと」と言うので、僕は顔を上げた。それは色々と入っているの? ゲームとかアプリとか色々と……。「あんまり入ってないですよ。でも、ネットにつながっているので、何でも見れます」額の中の海を見ながら、僕は答えた。「家でゆっくり見れば? その方がいいんじゃない?」女は、腑に落ちないというように言った。「そりゃ、それもいいけど。でも、例えば」僕は、向こうに腰掛ける女に向けて例えてわかるように言った。「サッカーだったら、スタジアムでするのが一番いいけど、でも、それまで公園でする。それはそれで楽しいでしょ」けれども、女はすぐに食い下がってきた。「公園でするのがいいの? 迷惑じゃないの? 私サッカーは知らないし」そう言って、女は腕を組んで斜め上を見上げた。「野球だと……」僕は、それをすぐに遮った。「僕は野球なんて知らない! サッカーというのは、11人でやるんです。サッカーを知らなくてもサッカー選手の気持ちを理解しようとは思わないんですか?」僕はサッカーについて、なおも話を続けた。ベンチを温める選手は、同じようにベンチを温めている相手チームの選手と戦わなければならない。その時は空手着を着て戦うのです。そこで負けているようでは、本当の試合に出ることだって叶わないから選手はそれこそ必死で戦います。無数のフェイントで相手を揺さぶって、両足が揃った瞬間を捉えて股抜きを狙うのです。誰でも強い相手に勝ちたいし、強い選手になりたいから。「野球も同じよ!」女は、まるで聞いていないようなことを言った。「どうも噛み合わない感じがします。もう話すのはやめましょうか?」けれども、僕は野球ゲームのことを思い出し、それなら少し話せるかもしれないと思った。「ファミリースタジアムって知ってます?」女は、何それと言い、高いのそれと言った。一万円もあったら手に入りますと言いながら、少し不安になったので、隣に座っている子に訊いてみると少し値が上がった。「一万五千円もあったら大丈夫です」女は、すると目を輝かせ、家で遊ぶのが楽しみだと言った。「絶対に買うわ」。電車を降りる時、女は力強く宣言して、降りた。
 見覚えのあるような女が、乗ってきたと思うと忘れ物をしたというようにすぐに降りて歩いて行ったと思うと、今度は見たことのある女が2人して乗ってきたのだった。「偶然なの?」と訊くと、2人は顔を見合わせて笑うばかりだった。僕は元いた席に、鞄を取りに戻った。それは高校生のギターケースと筆箱と菓子パンの中に交じり合って埋もれていたが、構わず奪い取って女たちのいるところへ戻ると、もう置き場所がなかったので仕方なく女たちの背中に潜り込ませてもらうことにした。「まだまだ増えてくるのよ」今日は、みんなしてやってくるのだと言った。「今日しかないの?」今日だけなら、みんなが集まってくるのも無理もないと思い訊いてみた。「今日が、さよならゲームよ」。

posted by 望光憂輔 at 03:52| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月29日

返却の旅

 売ってくれと言われて泡を食ってしまう。だってそれは伝説の建設剣なのだから。「1000円でしょう?」そんなはずはないのに堂々と主張されるとたじたじとなり、逃げ出すこともできないので鉛筆の先を口に含んだ。どうしたって言われてもそれはあんたがそうさせたのだから、あんたが悪いんだよ。あわあわあわ。芯が砕けて役立たずになり、輪郭が崩れて開けてゆくカツオ節の向こうから太鼓の音がする。「コーヒーを買ってきます」

 アウェーに乗り込むこととなった監督は、エースのしんじをキーパーの後ろに配置することに決めたのだった。敵のエースの攻撃にさらされた時も、最後は味方のエースがピンチをことごとく蹴散らしてくれるという狙いだったが、攻撃力の低下は免れなかった。いくらアウェーでもという声が、主力選手の中から多数上がった。しんじは監督の息子だったのである。僕は、缶コーヒーを間違えて買ってきた。建設剣はおじいさんに返しに行こうと思う。

 道の途中に坂があって、転がっているとデパートの渡り廊下につながっていた。ミス千里眼が、地下一階にいながら、7階の模様を探っている。「また新しいメニューが追加されました」。店の配置も、人の流れもすべてが見えているようだった。3人の人が、並んでいるのが見えると言った。その内の1人が僕なのだった。「そうです。白葱とんこつラーメン」千里眼が見通した。正午が近づいて、人々が集まってくる。千里眼の操作によって、配置はすべて決められていた。押しのけられて、突き飛ばされて、転げ落ちると、僕はハ行を見上げていた。それでいて、目的のアーティストを見失っているが、それはよくあることだった。ハ行ではなかったかもしれない。頭に「ザ」がついて、サ行になっているのかもしれない。けれども、サ行の前ではダンス大会が開かれていて、立ち入ることができない。気がつくと後ろに女の影があった。「私もまた、CDを売るからね」。女はそれだけ告げて去って行った。

 剣をひとふりすると、ワイシャツの襟が立ち上がったけれど、それは僕の首から大きく遠慮した距離を取り、中には冬の風が吹き込んでいた。「並んでいるのですか?」「いいえ。僕は、パンを選んでいるだけです。でも、これと決めた瞬間には、並んでいることになるでしょう。その時は、肩の向きを今より少し向こうにするつもりです」まくってもまくっても、袖が落ちてきて、パンさえ落ち着いて選ぶことが出来ないのだった。まだ、みんなは僕がコーヒーを間違えたことを責めているのかも知れなかった。女は、僕の首に手を回し、襟のサイズを見てくれた。ずっと見つめられているようで、恥ずかしくて、僕は女の顔でみんなから自分の顔を隠そうとした。何も悟られまいとして、一層女の顔に、明るさを失うほどに繊維が浮き上がるほどに、自分の顔を近づけた。消えてしまいたい。そう思うと、もう2人きりになって歩いていた。「おじいさんは、いるかな?」。煙草屋の前までやってきた。戸を開けると、ガラガラと鳴った。僕は、剣を掲げながら、「御免ください」と言った。

posted by 望光憂輔 at 03:40| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

ドアと手

 ヘルメットを被った赤ちゃんがどんどん降りてくるので、落とさないようにキャッチしなければならない。「あの雲からこっちが私の物語ね」と女は言った。じゃああの雲からこっちが僕の物語だ。洗面器を抱えながら、次々と落ちてくる赤ちゃんを受け止めた。僕の方に少し片寄っている気がする。洗面器が随分と重くなり、足つきが不安定になってきた。移さなければ。いっぱいになった赤ちゃんを、バケツに移しに行く。その時ばかりは、物語の境界を越えて、女は助けに来てくれた。ありがとう。いえいえ。けれども、その時にすくった赤ちゃんは、すべて女の物となった。それでちょうど良い感じだった。ヘルメットで守られているため、赤ちゃんは静かに静かに降り続けた。赤ちゃんが降り止むと、女はいなくなっていた。
 誰かが部屋のドアに近づくのがわかった。もう一つの鍵を使って開けようとするのがわかった。ドアのランプが赤から青に切り替わる音がする。開いてしまう、という瞬間に手を伸ばしてドアを押さえた。「誰だ?」声は出せなかった。ドアをすり抜けて手だけが入ってきて、ドアの内側に貼りついていた。指の長い手。男のものか女のものかわからなかった。じっと耐えていると急に圧力が消え去った。手だけを残して、足音が去ってゆく。奇妙なものを忘れられては困ると思い、ドアを開けて追いかけたかった。けれども、体が動かなかった。振り返ると、ベッドの上に赤ちゃんを抱いた自分の姿があった。赤ちゃんと一緒に眠っているのだった。起こすことは気が引けた。再びドアに貼り付いた手を見た。手ではないものに変わるまで、見ているつもりだった。

posted by 望光憂輔 at 03:16| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月24日

土作りの薄暗い家

 車はゆっくりと下がっていた。ヒッチハイクで拾った車は、僕の目的地よりも彼女とのかくれんぼの方を優先しているので、旅は遅々として進まなかった。「今、いなかったかな?」曲がり角まで下がって、男はつぶやく。僕は答えない。後ろから、クラクションが鳴り響く。思い直して、男はアクセルを踏む。車は加速して、黄色信号と同時に更に加速して、交差点を通過した。強い日差しがフロントガラスから照りつけて、運転手はいつの間にか兄に変わっていた。名所を巡る旅をしていた。兄は、駐車場でもないとんでもないところに、車を挟み込むようにして止めた。なぜか、泥棒が入った後の家のようだと思った。
 土作りの薄暗い家の中で、人々は展示品に見入っていた。幾つものワイングラスが逆さまになって宙に浮いている様を、硝子のような眼で見つめていたのだった。けれども、僕は見つめる側ではなく展示品の中に入り込んで、逆さまになって宙に浮いてみせた。何秒も経って、僕が奇跡を演じていることを認めた人たちは、大いなる拍手で僕を包み込んだ。「どうやってるの?」誰かがつぶやく。充分に楽しんでもらってから、少し頭に血が上り出した頃に、僕は一回転して着地すると展示品の中から抜け出した。新しくやって来た人たちは、単にマナーを守らない若者の一人がいるくらいに思ったことだろう。居合わせた親戚の人たちに、僕は自分の秘密を打ち明けなければならなかった。「まだ幼い頃でした。同じ夢を何度も見ました。僕は空中に一定の間留まることができたのです。現実の中で試してみたところ、夢の中と同じようにできました。停留時間は、夢の中でも最初は数秒でしたが、今は数分間は大丈夫です。けれども、体力は確実に消費しますし、地面との距離によって恐怖も増します」親戚の人たちは、浮き上がる僕の話を見上げながら聞き、「ほーっ、そうか」と伯父さんが言い、やがて皆背中を向けて帰っていった。「おまえは三番目だから、もっと飛躍しないとな」土作りの薄暗い家の傍で、男たちは重たい話をしていた。僕らは駆け寄って、「三人のコント師の人でしょ」と言った。テレビで見たことがあった。「お兄さんたちは、三人のコント師なんでしょ」三人は、何も答えずに話を続けた。
「僕が昔、住んでた場所を覚えてる?」姉は、覚えていないと言った。それは今と同じ住宅の西側の端から三番目のところだった。「もしも、100回飛んだとしても、それが全部夢だったら? それもこれも夢だったら? 夢を現実と自信を持って、現実の中で飛んでしまうとどうなるだろう?」姉は、足の爪を切りながら、そういうこともあるかもしれないと言った。「貼らせてもらっていいかな?」代わる代わる家の前に業者がやって来て、紙を貼っていく。70%OFF。

posted by 望光憂輔 at 22:34| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

名残拳

 エスカレーターレースはリフレイン。だんだんと激しさを増してゆく。上り切ったところから次のステップに勢いをつけて移る、その瞬間が抜かしどころ。上級者は手すりの上を駆けて、加速していく。この労働ビルの中の人々は日に日に疲弊していくようだ。このビルが吹っ飛べば、失業率は少しは下がると思われた。なぜなら、このビルの中に詰め込まれすぎた仕事が少しは分散するだろうから。朝は寺へつながる道を通った。本田の家に立ち寄るつもりはなかったし、借金を取り立てるつもりもなかった。少しだけ、本田の家の前を通った時に中を覗いた。本田はコントローラーを手に画面に夢中だった。戦っている。だから、僕は楽観した。生きている限り、金なら返ってくる可能性がある。帰ろうとすると本田の父が出てきて、肘打ちを浴びせてきた。何度も何度も浴びせてきて、僕は家の前で倒れ込んだ。「何をするんだ?」肘が胸に食い込んでいた。けれども、本田の父は、少し離れた場所に立っていた。私は何もしていないと言った。確かに、本田父の腕は、本田父の体にくっついている。「それは名残拳」と言った。実際にはもういないのに、恐れが胸に残り突き刺さっているように映ると言う。危害を加えているのは自分自身なのだと言う。肘を胸に付けたまま、僕は本田の家から逃げ帰った。優勝者には賞金と一日の休みが与えられる。僕は上級者の後について行き、優勝を狙った。押し出されるようにして、手すりを越えていき、自分が上級者そのものではないかと思ったりした。あと少しで、ゴールだという時に、優勝者の名が発表されて力が抜けた。小倉さんが、顔を押さえながら立ち尽くしていた。「もう駄目だ」と言った。朝から駄目だったが、出勤してきたと言った。小倉さんは、本当にもう駄目そうだった。誰か迎えの人、マネージャーか誰かは来ているのですかと訊くと、息子が二人来ていると言うので少し安心した。上の階で高井さんを見つけた。「飲みましょう」と声をかけた。高井さんも優勝を逃してくやしそうだった。「今日はこれだ」と言い500円硬貨を手の平に載せていた。カウンターに腰掛けて、二人で水を飲んでいた。高井さんは黙り込んでずっと水を飲んでいた。スーツ姿の森氏が額に汗を流しながら入ってきて、「テニスの試合はどこで?」と訊ねた。「東館の一番上の階ではないですか?」と僕は教えてあげた。「本当かね?」と森氏は訊いた。「勘ですよ」と僕は言った。周りの人がくすくすと笑った。いつまでも、頼まないので僕がBランチを注文した。「二つ」と付け足して、高井さんの方を見るとそこに座っているのは、本田だった。お金のことを考えて黙り込んでいるのだった。僕たちは、繰り返し芝居を演じているのだということを、ようやく思い出した。昨日と完全に一致した時、初めてこのゲームから抜け出せることができるのだ。胸に突き刺さった肘を抜いて、本田の頭に向けて投げつけた。ゴンと音がして、本田は転げ落ちた。しばらくして、Bランチが二つ、僕の眼の前に置かれた。

posted by 望光憂輔 at 02:33| 夢まち | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。